「レン、服買いに行こう。」

 

 

 

きみのために 4

 

 

 

俺のマスターは…いや、マスターなんてまだ認めてないけど、とにかくコイツは変だ。
俺がロボットだということを忘れているのかもしれない。
事あるごとに人間扱いしては、俺が呆れて訂正することの繰り返し。
説明書、ちゃんと読み直してないのかもな。

ずらっと料理を作ってみたかと思えば、風呂に一人で入れるかどうかを心配しだし、挙句寝る時は一人で大丈夫か、なんて言い出す始末。
人間、というより、かなり年齢の低い子供に見られているようで腹が立つ。
一通りのことは自分で出来るに決まってるだろ!と怒鳴りつければ、素直に非を認めて謝ってくるし。

その表情がなんだか傷ついているように見えるから、ムカツク。

そして今度は、俺の服を買うと言って外に連れ出した。
今は夏。さんさんと照りつける太陽に参っているらしいコイツは、額を流れる汗を軽く拭っていた。
自分の体温が気温に左右されることのないボーカロイドの俺でも、この太陽は少し辛い。
暑いから辛いわけではなくて、太陽の光が強いのが困る。

 

「レン、暑いの平気みたいだな。全然汗かいてない。」
「ボーカロイドだから、当たり前だろ。」
「…もしかして眩しい?」
「何で分かるんだよ。」
「顔しかめてるから。」

 

俺の身を案じて振り返ったコイツは身長が高い。
見上げる形になる俺は、太陽の光も眼に入る。
高性能のカメラに近い俺の眼には少し光が強すぎて、コイツの顔が良く見えない。
すると、急に視界が落ち着いて、目の前にある顔がはっきりと見えるようになった。
それと同時にぎゅっと頭を押さえつけられる感覚に驚いて声を上げる。

 

「なんだよ!」
「帽子。俺のだけど。持ってきてたけど、俺使ってなかったから。」

 

自分にかぶせられた帽子を取って見る。
シンプルな黒のツバ付きの帽子は、俺の頭より少し大きかった。

 

「レン好みじゃないかもしれないけど、買うまでとりあえずソレ使っとけ」

 

俺の手から帽子を取って、またポスンと頭にかぶせる。
今度は声を上げなかった。
そして、アイツは前を歩き出す。
置いていかれないように慌てて歩き出して、隣に並んだ。

 

(…変な奴)

 

(すげぇ変な奴。)

 

俯いて、隣に並んでいる気配を感じて、目を伏せる。

 

(俺の前のマスターは、こんなことしなかったのに)

 

 

 

 

俺は最初から一人なわけじゃなくて、最初のマスターのところではちゃんとリンと一緒だった。

マスターが俺達を購入した理由は、リンの声が目当てだった。
購入した最初の頃は俺のこともまだちゃんと扱ってくれていた。
リンとの待遇には差があって、食事もなければ服はいつも同じものだったけれど、話しかけてくれていた。

ある日、リンがマスターに抗議した。
俺にも歌を歌わせて欲しい、と。

マスターに”レンは要らないんだ”と言われた時のリンの顔は今でも鮮明に思い出せる。
俺の方を、涙を一杯に溜めた目で見て、いやだ、と小さく呟いたリンを、忘れられるもんか。

マスターは止めるリンの声も聞かずに、俺をスリープモードに移行させた。

 

そして、次に目覚めた時、目の前に居たのはコイツだった。

 

 

(……あれ?)

 

 

はっと我に返って顔を上げると、隣に居たはずのあいつが居ない。
もしかしなくても、はぐれた?
慌てて辺りを見渡すけれど、見当たらない。見つからない。

置いていかれた?

 

どくっと無いはずの心臓が脈打つと同時に、冷たい感覚が身体を流れる。

その直後、人込みの奥にアイツの姿を見つけて息を吐く。

どうやら向こうもはぐれたことに気が付いたらしくて、辺りをきょろきょろと心配そうな顔で見渡していた。

 

「……ッ…オイ!」

 

早く見つけて欲しくて声を上げる。
まだ気付いていないらしく、アイツはまだきょろきょろ辺りを見渡していた。

 

「……おい、気付けよ…!」

 

雑踏にかき消されて、俺の声に気付かない。
アイツは俺に背を向けて歩き出してしまった。
先に進んだと思ったのかもしれない。
あわてて走り出すけれど、人が多くて思うように進めない。
それなのに、アイツはどんどん先に進んでいく。

置いていかれる。

 

「なあっ…オイ!気付けって!」

 

追いかけて、追いかけて、声を上げるけれど気付かない。
俺の声が小さいわけじゃないはずなのに…!

 

(なんで、こんな不安なんだよ…!)

 

別に、こんなの何だって無いじゃないか。
ただはぐれて、少し離れているだけで、俺はアイツをちゃんと見つけている。
あとは合流するだけなのに、なんでこんなに怖いんだよ。

 

「…ッ嫌だ……!」

 

俺を見て名前を呼んで

 

 

 

「マスター!」

 

 

叫んで、呼ぶ。
絶対呼んでたまるかって思ってたのに、呼んでしまった。
俺のマスターだと認めてしまった。

そして、マスターが振り向いて、俺を見た。

 

俺を、見つけてくれた

 

「レン!」

 

慌てて人込みを掻き分けて、俺の前まで戻ってくる。
そして、ぎゅっと手を握られた。

 

「あー、びっくりした。気付いたらレンいないんだもんなー」
「俺がはぐれたんじゃないからな。お前が俺を置いてったんだろ…!」
「うん、ごめん。もう置いてかないから。」

 

その言葉に、胸がふっと温かくなった気がした。
繋いだ手から体温が伝わる。
俺よりも暖かいその手に融けてしまうんじゃないかと思ってしまった。

 

「今、レン俺のことマスターって呼んだよな。」
「だ、って、そうだろ。アンタは、俺のマスターだって…」
「でもずっとそう呼んでくれなかったじゃん。だから今すげー嬉しい。」

 

俺が会った人間の中で、多分コイツは一番物言いがストレートなんだと今気付いた。
だから俺だったら恥ずかしくていえないような言葉も言える。

俺が欲しい言葉を言ってくれる。

 

「んじゃ行くか。」
「って、おい!手、離せよ!」
「またはぐれるかもしれないし。」

 

俺の手を握ったまま歩き出すマスターに抗議の声を上げたのに、さらりと流されてしまった。
つながれた手は強く握られていて、解けない。
そこから熱が伝わって、俺の身体に浸透していくような錯覚を覚えて戸惑ってマスターの顔を見上げた。
横顔を見た瞬間、どくん、と大きく何かが脈打って、急に呼吸が苦しくなる。

 

(っ、なん、だこれ)

 

つながれてないほうの手で、苦しくなった胸を押さえて服を握り締める。
全く改善されない苦しさが何故か心地よくて、俺は何がなんだかわからなくなってきた。

 

(こんな感情、知らない…!)

 

前のマスターやリンを思い出すと、胸が冷えていく。

今のマスターを思うと、胸が熱くなっていく。

 

これが、俺の最初の変化だった。