「さ、食え!」

 

自信満々に、テーブルに着いたレンへと呼びかけた。
沢山のおかずに囲まれて、レンはテーブルの上をさらりと見渡し、それから俺の方をじっと見た。
何か言いたいことがあるのだろうか、と首をかしげ、何?と聞いてみる。
喋ってくれるかな、と半ば諦めた期待をかけての問いかけだった。

ゆっくりと、小さな唇が開く

 

「あのさ。」
「何?あ、もしかして食えないもんとかあった?」

 

「ボーカロイドは固形物は食わないんだけど」

 

 

 

 

きみのために 3

 

 

 

撃沈。脱力。

説明書にそんなことが書いてあったっけ?全然記憶に無い。
テーブルの上に突っ伏している俺を見ているのか、レンからの視線が痛いほどに伝わってくる。
きっと、バカなマスターだと思っているに違いない。ああ、違いない。

 

「あ。」

 

がばっと顔を上げると、レンがびくっと震えて後ずさった。
しまった、怯えさせてしまった…少し後悔して、はは、と苦笑をもらしてみる。

 

「今、喋ったよな。」
「……は?」

 

どういう意味かと聞きたそうな、不機嫌そうな表情で少し目を細めたレンを見て、俺はぱあっと顔を明るくさせる。

 

「……ッオイお前まさか」
「よかったー!ずっと口聞いてもらえないのかと思ったー…って、え?何?」

 

急に血相を変えて立ち上がり、怒ったような声色で身を乗り出したレンを遮って、俺は思いのたけをぶちまけてしまった。
言葉を遮られたレンは口をぱくぱくと動かしてから、居心地が悪そうにぎゅっと口を食いしばる。
しまった、せっかく何か喋ってくれようとしたのに…。

 

「ごめん、レン。何?ちゃんと聞くから」
「……もういい。」

 

ぷいっと顔を背けられてしまい、苦笑して頬をかく。
機嫌を損ねてしまったらしく、レンはそのまま椅子に座り、俺をみようとはせずにずっと窓の外を睨みつけている。
会話ができるかと思ったのに…俺の馬鹿。

 

「そうだ……これ食っちゃわないとな」

 

テーブルについて、たくさんの料理を片っ端から取っていく。
いつも食べる量よりは多いが、元々食欲は旺盛なほうだから苦にはならない。
結局は自分の為につくったことになるが、まあ、それでもいいか。
なんて思いながら三品ほど食べきった頃、レンがこっちを見ていることに気が付いた。

 

「……アンタ、説明書ちゃんと読んだのかよ」
「むぇ?」
「飲み込んでから喋れよ!……ボーカロイドは固形物が食えないんじゃなくて、別に食わなくてもいいってだけ。食おうと思えば食えんだよ。充電の代わりとして電力にするから。」
「んくっ……そうだったのか」

 

足と腕を組んで、俺を睨みつけながらレンが言う。
声にはトゲが含まれていて、喋ってくれたけれど俺にはまだ心は開いていないらしい。
知らなかった、と呟けば、ますます疑わしいと言わんばかりに舌打ちされてしまった。

 

「なんで俺を買ったんだよ。見たところ、この部屋には音楽機器一切ねーじゃん。アンタ、音楽系の知識全然無いだろ」
「あー……やっぱりわかる?」

 

俺の家にある音楽系のものと言えば、パソコンとコンポと大量のJ-POPのCDぐらいだ。
あとは錆びたハーモニカがどっかにしまってあるくらいで、俺は楽譜が読めなけりゃドレミの音階すらも怪しいレベル。
レンはそんな俺がどうして自分を買ったのか、凄く知りたいようだった。

 

「もしかして、あんたホモ?ショタ趣味?」
「ぶっがはげほっげほっ!!」

 

冷たい声色でさらりと呟かれた言葉に思わず咽こんでしまった。
慌てて水を飲んで深呼吸し、今言われた言葉が嘘だったのではないかと信じ始める。

 

「……今、何て」
「ホモでショタ趣味なのかって聞いたんだよ」
「違ぇ!!」

 

力いっぱい否定してレンを見ると、ものすごく疑っているようだった。

俺は今まで二人彼女がいたし!どっちも欲目かもしれなかったけど可愛かったし!
まあ、今は振られていないわけだけども、とにかくホモでないことは確かだ。
それに年下の少年に無条件にときめく性癖は持ってない!確実に!

 

「あのなぁ……なんでそうなるんだよ。」
「俺じゃなくてリンを単体でって言うならわかるけど。俺だけなのになんで買ったわけ?歌わせることもできねーのに」

 

それを言われてしまうとぐうの音も出ない。
あらぬことをしようと企んで買ったわけではないのは確かではあるものの、それじゃあ本来の用途である”歌わせる”ことが出来ないのに、何をしようと言うのかと聞かれると困ってしまう。

ただ一緒に居て、楽しく過ごせたらいいと思っただけ、なんだけど。

 

「…友達に、音楽関係に詳しいヤツがいるんだよ」
「それが何?」
「これからそいつに色々教えてもらうからさ」

 

そこで冷めつつあるおかずを口に入れて咀嚼する。
レンは何も言わず、俺のことを見ているようだった。
顔を見ると、言葉の続きを待っているという感じじゃなくて、どこか落ち込んだような表情になっている気がする。

 

「その友達もボーカロイド持ってんのかよ」
「ん、そう言ってたな」
「……あっそ。じゃあ、そいつと話あわせる為に俺のこと買ったわけか」
「え……や、そうじゃないけど」

 

不機嫌そうな表情が荒んで、見ているのが少し辛くなった。
俺が最後までちゃんと言う前に、食欲に負けて飯を食べたせいで、レンはどうやら何か思い違いをしてしまったようだ。
まだ口に残っていた食べ物を飲み込んで、口をひらいた。

 

「勉強するから、レンに歌わせてあげられるように。」
「……俺を…?」
「だから、そんな顔して…なんていうか、自分なんかいらないみたいな言い方するの止めろよ。俺はレンと楽しく過ごしたいんだ」

 

気の利いた言い回しができるような頭があればいいのになぁ。
生憎と語彙が少ない俺がレンに気持ちをちゃんと伝えるためには、そのまんまクサい台詞をストレートに言うしかないわけで。
言った後になって、顔に熱が集まるのがわかって照れて口の端が引きつった。
レンはきょとんとして俺を見てたけど、俺が照れたことを自覚した瞬間、ぷっと小さく吹き出した。

 

あ、笑った

 

「テレるような台詞わざわざ言うなよ」
「うるさい」

 

照れたのを隠すように、レンから視線を外しておかずを一気に口の中へと放り込んだ。
レンは笑うのを堪えているらしく、ふるふると震えて口を手で押さえている。
笑ってくれたのは嬉しいけど、なんかこういう笑い方はあんまり嬉しくなくて、複雑な気持ちだ…。

それでも俺の気持ちが伝わったんだと思うと、俺とレンの距離が一歩縮まった気がする。

…気がする、だけ、かもしれないけど、それでも俺は嬉しかった。

 

(……なんか俺、恋愛初心者みたいな…いや、レンに恋してるわけじゃないんだけど。)

 

ちらっとレンを見ると、俺と目があった……かと思ったらまた笑い出して顔を背けた。ちくしょう。
もぐもぐと食事をしながら、良い機会だと思ってレンの姿をじっと見てみることにする。

柔らかそうな髪の毛が笑うリズムに合わせてゆれていた。

肌は白い。当たり前か、まだ直接太陽に当たってないし。

そして大きな目。レンの姉のリンと同じ形をしている…と、思う。ディスクが入っていたパッケージをちらっと見ただけだから自信は無い。

口…は、手が覆っているから見えない。でも綺麗な形をしていたと思う。

そう、レンは一言で言うなら美少年だ。

髪を下ろしてしまえば双子のリンとそっくりで、きっと見分けることは難しいんだろう。

 

(喋ればまた、違うんだなってわかるけど……)

 

レンの声は独特で、少年特有のハスキーボイスが耳に心地いい。
俺はまだ喋っているときの声しか聞いてないけど、もし歌わせたら…?

 

「なあ、レン」
「ふ……っ……はは……」
「……いつまで笑ってんだ…こら。」

 

半分諦めを込めて怒ってみるけれど、俺の怒りは伝わらなかったらしく、まだ少し笑った顔で俺の方を見た。
睨まれなくなっただけいいか、と、俺はレンに聞こうとしたことを口にした。

 

「あのさ、何か今歌えるのって何かないの?」
「はぁ?……俺、まだアンタに調整されてないんだけど?」
「調整?」
「アンタがどんな歌が好みなのか知らないってことだよ!説明書、マジで読んでないだろ」

 

呆れたような声色と、不機嫌そうに寄せられた眉根。
しまった、せっかく笑ってくれたのにまた機嫌を悪くさせたみたいだ。
苦笑を返すと、レンは重々しく溜息をついて首を横に振った。
…なんか、「駄目だコイツ早くなんとかしないと」って言われてるみたいで少し傷つく。

 

「童謡とか、そういうのなら初期データとしてインプットされてるけど?」
「あ、じゃあそれでいいや。あー……七つの子とかは?」

 

何を歌えってんだよ と言わんばかりに睨まれたので、一番最初に浮かんだ曲名をリクエストしてみる。
レンは了解したようで、すうっと息を吸い込んだ。

 

そして流れる音は、なんの知識のない俺でもわかるほど透明だった。

 

ヘタ、というわけじゃない。
多分歌の技術…声を大きくしたり小さくしたり、メリハリをつけるのはとても上手い。

だけど何か物足りない

この曲はこんなに何も感じないものだったんだっけ?と思ってしまった。

 

(……これが、今のレンなんだ)

 

声や喋り方には、人柄が表れるとか聞いたことがある。
怒ったり、喜んだり、そいう感情はいつのまにか声色に表れているそうだ。
今のレンにはそれがない。何も感じない。

ただ、音が響く

 

「んっ…?……なんだよ、アンタが歌えって言ったくせに」

 

立ち上がって歌っているレンの傍に行って、ぱっと口を押さえる。
目を閉じて歌っていたレンはそれに驚いて目を明けた。
俺の手を払うと、怪訝そうに目を細めて俺の顔を覗き込んでくる。

 

「えーっと……今はもういいや。ありがとう、レン」
「?」

 

わけがわからない、といぶかしむレンの目から、俺は目を逸らせない。

ボーカロイドってのは、皆最初はこうなのか?

赤ん坊のように純粋で、きっと知識としてはある感情を歌に込めることができない。

 

ボーカロイドを作った科学者は、心を作ることはできたのに重要なことは教えられなかったのか?

 

(…それとも、だからマスターがいないと駄目なのか?)

 

俺を下から見上げて睨むレンの頭に、そっとてのひらを乗せた。

 

「うーん…なんつーか、今更だけど…よろしくな、レン」

 

くしゃりと頭をなでて手を離すと、レンは目をまんまるに見開いて驚いていた。

その顔がおかしくて思わず笑ってしまうと、レンは顔を真っ赤にして怒り出した。

さっきの俺がそんな気持ちだったんだ、ってことを、レンは想像できているんだろうか。

 

(これから俺が教えてやればいっか)

 

随分と意地っ張りな性格をしているらしいレンとの生活が、こうしてはじまった。