最初、カイトの身体にある傷には気が付かなかった。

 

(………あれ?)

 

カイトが家に来て一週間がたった日の事。
風呂から上がったカイトの髪を拭いてやっていた時だった。

カイトは汗をかかないから、風呂に入ると体温調節が出来ずに熱が篭ってオーバーヒートしてしまうらしい。
それを避ける為に、風呂上りは上の服を着ないようにして放熱している。
身体を拭くこともまともに出来ないカイトを見かねた俺が、手を出したわけなんだけれど。

 

(何だこの傷)

 

カイトの首筋に、引っかいたような傷がついていた。
よく見るとそれは首筋だけじゃなくて、肩や背中にもついている。
後ろから見ているからわからないだけで、前にもついているのかもしれない。

ただの引っかき傷のようだったから、一瞬カイトが自分でやったのかとも思った。
けれど良く考えると、カイトの爪は鋭くないし、手が届きにくいようなところにも傷がある。
となると、この傷をつけたのはカイトではないってことになるわけで。

 

(……前のマスターとか?)

 

そういえば、カイトは道に捨てられていた。
雨に打たれて、泥で汚れたカイトを思い出す。

一体前のマスターは、どんな人だったんだろうか。

あんなふうに、いらなくなったら道に放り出すような人 なのか

 

「マスター?」

 

手の動きを止めた俺を不思議に思ったのか、カイトが振り向く。

なんでもない、と言いながら、何かコイツが喜ぶことをしてやりたいと思った。

 

 

 

 

Song

 

 

 

 

「新しく作ったヤツじゃなくて悪いな」
「いえ、嬉しいです、マスター。」

 

本当に嬉しそうに笑うカイトを見て、ほっと安堵の息を零す。

どうしようか一週間考え抜いた結果、ボーカロイドなんだし歌うことが好きなんだろう、と勝手に思い込んで、カイトに歌を歌ってもらうことにした。
俺が昔バンドをやっていた頃の曲だけれど、結局誰も歌うことの無いまま仕舞っていた曲を引っ張り出して、楽譜をカイトにみせてやる。
どうやらわざわざ歌わなくても楽譜さえあれば何とかできるらしく、カイトはじっと楽譜に魅入っていた。

楽譜を見てるカイトに気付かれないように、顔を覗き込む。
どうやら顔には傷はついていないらしい。
まあ、流石に顔に傷がついていれば俺も気付いていただろうし。

 

「マスター、読み終わりました。」
「え、あ、うん。」
「……マスター、何か考え事でもしてたんですか?」
「あー、うん、ちょっとな。」

 

顔を上げたカイトと目が合って驚いて、変に曖昧な返答をしてしまった。
案の定カイトは不思議そうに俺を見てくるし。
適当にはぐらかしておいて、カイトに歌えるかどうかを聞いてみる。

 

「はい、大丈夫です。」

 

歌うことが待ちきれない、とでもいうように、カイトの頬は興奮で若干赤く染まっていた。
きっと歌うことが嬉しくて堪らないんだろうな。
俺も早く歌わせてやりたくなってきた。

 

「んじゃ、合図するから歌ってみろよ。」
「はい!」

 

軽く指でリズムを取って、指揮を振る。
パチン、と指を鳴らして合図した瞬間、カイトの唇が開いた。

 

俺はこの時初めて、「ボーカロイド」というものがどれほど凄いものなのかを思い知る。

 

譜面を完璧にコピーしていることが直ぐにわかった。
ブレスのタイミングは勿論完璧だし、音程だって狂わない。
どこまでも届くような通った声。

 

カイトの声は、透明だった。

 

(凄い、上手い……けど)

 

何かが足りないように感じる。

普通の歌手にはある、何かが足りない。

 

(…ああ、これが、)

 

感情を持つ「人」と、感情のない「ボーカロイド」の差なんだ。

 

人なら無意識にでもする事を、カイトは意識しなければ行えない。
例えばフォルテの記号があったならば、その時の歌詞にもよるけれど、人は力を入れて歌おうとするはずだ。
もっと強く、言葉を叩きつけるように、と。
けれどカイトは、譜面には無い事は出来ない。
ただ、声を大きくするだけだ。
その言葉に込められた想いも何もかも関係なく、ただ譜面の通りに歌うだけ。

それでも技術はそこらへんの人なんかよりもあるから、上手いとは思う。

だけど、これで人を泣かせることはできないんだろう、と思う。

 

(……もしもカイトが、前のマスターと過ごした記憶を持ってたら、どんな歌い方をしたんだ)

 

人の感情は記憶から作られるんだろう、と俺は思っている。
悲しみも、喜びも、記憶にあるから表現できる。
つまり、カイトの感情も、記憶が積み重なることによって増えていくんじゃないか、というわけだ。

前のマスターのところで、カイトはどんな感情をおぼえていたんだろう。

どんなことを思って、どんな風に笑っていたんだろう。

 

(あれ?)

 

カイトの前のマスターのことを考えた瞬間、カイトの歌声が変わったような気がして我に返る。
この歌の歌詞は、前半と後半では真逆になっている。
前半は暗いけれど、後半は希望を持った歌詞だ。
俺が書いたわけじゃないから、どんな歌詞だったのかは楽譜を見なければ想い出せないけれど、カイトの歌声を聴けばどんな感情が込められていたのかがよくわかる。

 

(……すげぇ嬉しそう)

 

カイトが笑っているわけでもないのに、歌詞に「幸せ」だと入っているわけではないのに。

 

僕は幸せです。

嬉しいです。

 

まるでそう言われているような気がして

 

(もしも、俺の考えが正しいなら、カイトが俺との記憶で得た感情は)

 

勝手に深く考え込んで、勝手に感情なんか探っちまって

結果、俺はカイトに愛の告白でもされたような気がして、急に恥ずかしくなってきた。

 

「う、わ」

 

俺が思わず呟いた声に、カイトが歌うのをやめてしまう。
あー、折角いい声だったのに、なんて思って、更に羞恥心が煽られる。

 

「マスター、どうしましたか?あの……ヘタ、でしたか?」
「いや、全然そんなこと無い。つか、寧ろ上手い。」
「ホントですか?よかった……」

 

ほっとした顔で胸を撫で下ろすカイトを見て、思わずぎゅっと口を真一文字に強く結ぶ。
なんだか胸の辺りがむずむずする。
これは、一体どういうことだ。

 

まるで、俺がカイトに恋をしたみたいじゃねーか。

 

(無い。いやいやいやいや、無いって!つか相手男だし!確かにキレーな顔してるけども!)

 

別にカイトに告白されたわけでもないし、ましてや一緒に暮らし始めてからまだ二週間しか経ってない。
それなのに、嬉しそうにしているカイトを見て胸がときめくとか、ホントにどうしたってんだ俺は。

 

(嘘だ)

 

絶対に、これを恋だなんて認めてたまるか。