この間から、少し、マスターの様子が可笑しい。

声を掛ければ笑ってくれるし、何時ものように話してくれるけれど、何か可笑しい。
まず、僕を外へ出してくれなくなった。
もともと出る必要はないんだけれど、買い物などの日常で必要なものを買いに行くことすら禁止されてしまった。

 

「暫く、買い物とか行かなくていいから。家に居ろよ。」

 

そう言って、マスターは僕の腕を掴んで笑う。
マスターが言うのなら、と僕は快く受け入れた。

今まで、こうして行動を制限されることは無かったから、少し戸惑っているのかもしれない。

マスターは僕のしたいことはしたいようにさせてくれたから。

 

「何かあったんですか?」
「何も。」

 

聞けばこの答えしか返ってこないけれど、僕が訪ねるたびに一瞬苦虫を噛み潰したような表情になるのを僕は知っている。
僕には言えないようなことで、僕を外に出してはいけないと思う何かがあったんだろう。

 

(特に問題があるわけでもない、けど)

 

僕が質問するたびに、マスターが辛そうな顔をするのは、嫌だな。

 

 

 

Shut out

 

 

 

「マスター、お味噌が切れかけてるんです。買ってきてもらえますか?」
「ん、わかった。他になんかある?」
「えっと……ネギと、大根と、サンマを。」
「了解。」

 

ひらひらと手を振って、マスターは財布を持って玄関へと向かう。
それを追いかけて、僕はマスターを見送った。

 

(…今日も、マスターは一人で買い物へ行ってしまった)

 

別にどうということでもないけれど。
いや、不満はある。確かに一つだけ。
だけどそれは外へ出れないことではなくて。

 

『んじゃ、一緒に行くか』

 

(…前は、そう言ってくれたのに、な)

 

一緒に。
一緒に出かけてくれない。
それだけが不満なのかもしれない。
マスターに対して不満を感じるなんて、あっちゃいけないことだけれど。

 

(…どうしてこんなことを思うんだろう。)

 

マスターはいつも大学へ行く。
その間、僕は一人で留守番をしている。
マスターが買い物へ行く間も、僕は一人だ。
帰ってきてくれることがわかっているから、そんなに怖くは無い。
でも、やっぱり出来る限り一緒にいたい。

マスターの傍に

 

(…そういえば、マスターは何を隠してるんだろう。)

 

リビングのソファーに腰を下ろしながら考える。
何か僕に関係することで、でも知られたくないこと。
そしてマスターが気にすることと言えば、前のマスターのことだろうか。

 

(今までも、前のマスターの話題はしなかったから…思い過ごしかな)

 

けれどこれしか思い浮かばない。
僕の前のマスターの記憶はほとんどなくなっているとは言っても、向こうは僕のことを覚えて居るだろう。

もしかして、前のマスターと会った、とか?

 

「-------ッ!!」

 

ぞわっと体中を悪寒が駆け抜けて、両腕で自分を抱きしめる。
自然と呼吸が荒くなったことに気付いて、僕は深く息を吐いた。
ここまで拒絶反応が起きるんだから、きっと僕は前のマスターのことが…

 

(…嫌い、になんかなれないはずなのに)

 

ボーカロイドは無条件にマスターへ愛を注ぐ。
だから、前のマスターがどんな人であっても、僕は嫌わなかったはずだ。

 

(…マスターが、変わったから?)

 

今のマスターに変わったから、前のマスターはもう僕の主人じゃない。
だから、今思い出すと僕はあの人を好きになれないということなのかもしれない。

 

(…僕はいったいどんなことをされていたんだろう)

 

知りたくないけど、知らなきゃいけない気がする。
もし知ったなら、マスターが僕と前のマスターを会わせたがらない理由がわかるかもしれない。
マスターの気持ちが分かるかもしれない、と思うと、それだけで知る価値があるように思えてくる。

 

(もうあんな悲しい顔、して欲しくない)

 

マスターの様子が変わった日、マスターは僕の手を握った。
そして僕の手や声を、好きだと言ってくれた。

それは嬉しい言葉のはずなのに、マスターはとても悲しそうな顔をしていた。

どうしてなのか聞けなくて、考える事しかできない。
どうして悲しい顔をしていたのか、訪ねると気のせいだと断言されるだけだから。
絶対に気のせいなんかじゃないと断言できるから、僕はずっと考えている。

 

「……マスター…」

 

お願いです。こんな不安も全部かき消してください。
安心させてください。

だから、前の様に嬉しそうに、笑って

 

「………?」

 

(なんでマスターが笑うと僕が安心するんだ?)

 

自然に思った事は普通じゃ考えないことだった。
マスターが笑うと僕も嬉しい。
だけどそれは、安心するのとは意味が違う。
マスターの笑顔を見るとほっとするのは、マスターが悲しい顔をしているのを見ると、僕が不安になるからだ。

何を不安になっているんだろう。

 

(……わからない)

 

機械の僕には、人の心を完全に理解することはできない。
だからわからない。

…そんなことを、言い訳にはしたくない。

 

(考えよう。)

 

どうしてマスターの笑顔を見ると安心するのか。
どうしてマスターの様子が可笑しいと不安になるのか。
どうして僕はこんなにマスターのことを気にしているのか。

 

 

僕のこの感情は、本当にプログラムされたものなのだろうか。