マスターがお酒を飲みに行く、と言って出て行ってから5時間。

時計は午前3時を指していた。

 

 

疑問

 

 

遅くなりそうだから先に寝ていろ、といわれたけれど、そもそもマスターが居なければ眠れない僕はまだ起きていた。
まだかなぁ、とぼんやりと思いながら、マスターに淹れ方を教えてもらったホットミルクを飲む。
もしかして、酔いつぶれているんじゃないだろうか。
マスターは決してお酒に強いほうではなかったはずだ。

ガチャ

「カーイトー、ただいまー」
「おかえりなさい、マスター」

玄関が開いた音と、妙に間延びしたマスターの声。
どうやらやっぱり酔ってしまっているらしい。
居間から姿が見えなかったので、キッチンにホットミルクを置いてから玄関へ向かう。
そこで、僕は一度立ち止まった。
玄関に居たのは、マスターだけではなかった。

「ほら、しっかりして」
「んんー…」
「あ、驚かせてごめんなさい。私、この人と同じ大学の友人なの」
「どうも、初めまして…」

マスターをつれてきたのは、綺麗な黒髪の女の人だった。
ほら、と完全に酔ったマスターの肩に手を回して支えている。

じり、と胸が熱く焼け付いた気がした

「ありがとうございます、つれてきてくださって」
「ううん、大丈夫」

よくわからない感情を表に出さないように、笑顔を見せてマスターを受け取った。
マスターが僕の顔を見て、少し反応した。
もしかしたらマスターには悟られたかもしれない。

「本当に、ありがとうございました」
「いいえ、大丈夫よ。それに、カイト君も見てみたかったし」

クスクスと笑って、女の人はそのあと直ぐに部屋を出て行った。
とりあえずマスターをつれて居間に行き、ソファーに座ってもらう。
酔った人にはまず水を飲ませたほうがいい、と聞いたことがあるので、キッチンに向かった。

「…カイトー」
「なんですか?マスター」
「さっきの、人なんだけど」

また胸が痛い

「…綺麗な人でしたね、マスター。」
「うん…大学でもかなり人気」
「そうですか…」

それを言ったらマスターも、だと思うけれど。
とてもお似合いだった二人が並んだ姿を思い出す。

また胸が焼け付く

「でさぁ…なんか、あの人が今度部屋に来たいんだって」

コップに水を注ぐ。
少し手が揺れた。

「いい?」
「マスターがいいなら、僕は構いませんよ」

少し早口になったかもしれない、と思いながら返事をする。
どうしてだろう、嫌な気持ちが膨らんでいく。
こんな感情、知らない

「そっか……ふーん……」

マスターが少し沈んだ声を出した。
何か変なことを言っただろうか、と思い、先ほどの会話を反芻する。
何処にもおかしいことは無い、前にも何度かしたような会話だった。
どうしてだろう、と思っても、聞くことは出来ないでいた。

「…マスター、どうぞ、お水です」
「ん…さんきゅ」

少し酔いがさめてきたらしく、マスターの顔の赤みは少し薄まっていた。
水を一気に飲み干すと、マスターはそのままソファーに横になってしまった。

「マスター、風邪を引きますよ」
「んー………」
「マスター」

ベッドに寝てもらおうと起こそうとするけれど、マスターはかたくなに動こうとしない。
いつものマスターらしくもなくて、少しだけ得した気分だ。

「マスター、ベッドに寝てください」
「……カイト、好きだって」
「え?」

ドクッ、と、脈打つ心臓の音が聞こえた気がした。
僕に心臓は無いし、そういう音がするものもないのに、どうして
そして、どうしてこんなに動揺しているんだろう。

「さっきの、人に、カイトの事話したら、写真見せてって言われて、見せたんだそしたら」

一目ぼれかも、って、言われた、とマスターは続けて、仰向けに寝転んで僕を見た。
気が付くとさっきまでの動揺は何処へやら、むしろ冷めた気持ちの僕が居て

「…冗談じゃないんですか?」
「俺も聞いたけど、違うって」

で、会いたいっていうからつれてきた、とマスターは小さく呟く。

「…マスターが、あの人に頼んだんじゃないんですか?」
「ん、違う。…で、つれてきたら、カイトはあの人の事綺麗とか、言うし」

少し気分が浮上している。
何で、なんだろう。マスターの言葉で一喜一憂するのはいつもの事だけど、今日のコレは違う気がする。
この気持ちは何?

「ボーカロイドも、恋ってするんだろ?」
「…一応、します」
「……好きになった?あの人の事。」
「…好きになったら、マスターは嫌ですか?」

もしかしたら、マスターはあの人の事が好きなのかもしれない。
だから、あの人が僕の事が好きって言ったことに対して、沈んだのかも知れない。
ということは、僕があの人を好きになったら、マスターは嫌なはずだ。

じり とまた胸が焼ける

「…嫌」

胸に手を当てたら、ほんのりと熱い。
多分人が手を当てたら思わず手を離したくなるほど熱を持っている。
このままではオーバーヒートしてしまう。
どうにかして冷却しないと、

「カイトが居なくなる…」
「え?」

「両思いになったら、絶対、カイトはあいつのとこに行っちゃうだろ」

やだ、と言って、マスターは顔を覆うように右腕で隠した。
マスターの言葉を理解するのに少しの時間を要し、完全に意味を読み取ったときには、マスターは寝てしまっていた。
考えていたといっても、5分間だったのに。
マスターは完全に限界だったらしい。

「……マスター」

返事はなく、規則ただしく胸が上下しているだけだ。
胸にもう一度手を当てると、もう熱くはなく、常温に戻っていた。
さっきまでのあの熱はどうして起こったのかわからない。
マスターが起きたら、聞いてみよう。
とりあえずマスターを此処で寝かせておくわけには行かない。
マスターを抱き上げると、ふんわりとマスターの香りがした。

 

(マスター、僕はもしかしたら、壊れてしまったかもしれません)

ありもしない心臓の鼓動が聞こえたように感じるなんて

 

 

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このまま抱きしめてしまいたい なんて