マスターの様子が可笑しい。

きっと、僕がマスターを怖がらせた日から。

 

 

解放

 

 

「マスター、朝だよーっ!」

 

リンがマスターを起こしに行っている間に朝食を作る。
マスターは低血圧だから、起きるのには少し時間がかかる。
レンがリンの後を追って、マスターの部屋に入っていった。

僕はキッチンで一人、料理を作る。

 

「お兄ちゃーん。」
「?」

 

マスターの部屋から、リンが呼ぶ声がした。
スクランブルエッグを作っていた手を止めて、火を消してマスターの部屋に向かう。
何かあったのだろうか。

 

「どうかしたの?リン。」
「うん、あのね、マスターがお兄ちゃんを呼んでるの。」

 

マスターの部屋から小走りに出てきたリンとレンは、心配そうな表情だった。
やっぱり、何かあったのかもしれない。
少し焦りながらマスターの部屋のドアを開けて、ベッドに近寄る。

すると、

 

「……マスター?」

 

マスターは、泣いていた。
うつぶせになって、怯えたように。
泣き声は出していなかったけれど、泣いていると直ぐに分かる。
小さく、小刻みにマスターは息を吐き出した。

 

「どうか、したんですか。」

 

マスターの背中を優しくさする。
体温が、僕の掌を伝わってくる。
暖かいマスターの体。

 

「……なんでもない。」

 

朝からごめん、と呟いて、マスターは僕に手を伸ばした。

その手を取って、マスターの頭を優しくなでる。

さらさら、綺麗なマスターの髪。

 

「ちょっと、嫌な夢見てさ。不安になった。」

 

僕の存在を確かめるように、マスターが体を起こして、真っ直ぐに僕を見た。
マスターの手が、僕の頭をなでる。
そのまま頬に滑って、輪郭をなぞった。

あれ?

何だろう、これは

 

どこかで感じたような、

 

 

「マスター。」
「え」

 

衝動に任せて、マスターを抱きしめた。
強く強く抱きしめて、体と体の間の隙間を埋めるように。
マスターが小さく苦しいと呻いたけれど、それも構わずに抱きしめて、マスターの耳元に唇を寄せた。

 

「傍に、いてください」

 

ああ、こんなことをしたら、またマスターに怖がられてしまう。
分かっているのに止められない。
マスターが、僕を置いていってしまいそうで、怖くて

怖くて

 

頭が冷めて、我に返って慌ててマスターから離れる。
マスターはぽかんとした表情のままで、少し赤い目で僕を見つめていた。

 

「ご、ごめんなさい、マスター、僕、なんか急に」

 

怖くなった、と最期まで口にすることが出来ない。
思考が混乱している。まとまらない。
とりあえず、マスターを怖がらせないように、笑みを作った。

 

とたん、マスターが泣き出しそうな顔になった。

 

何か僕は間違えたのかもしれない、と思って、慌てて表情を変えようとする

 

変える、でも、何に?

笑顔じゃダメだ、でも、戸惑った表情じゃマスターに安心してもらえない。

怒る?違う、感情に伴わない。

どういう表情をすれば、マスターは、僕を、僕に、

 

「マスター、僕は」

 

顔を両手で覆って、口元だけを出す。
表情が読めなければ、きっとマスターは怖がらない。
マスターがどんな表情をしているのかは、見えないけれど

 

「僕は、何かを間違えましたか?どうすればいいですか?僕は、どうすれば、貴方を安心させることが出来ますか?どうしたら、貴方を、貴方、に」

 

混乱した思考がまとまらない。
自分でも何を言っているか分からなくなって、とにかくマスターのことしか考えられなかった。

マスター、マスター、僕は

 

あなたに わらってほしいんです

 

「カイト」

 

マスターの声が、僕の思考を正常に引き戻した。
恐る恐る手をどかして、マスターの顔を確認しようとする。
けれど、マスターの顔を見る前に、マスターに抱きしめられた。

 

「マスター?」
「ごめんな、カイト。」

 

どうして、マスターが謝るんですか?

そう思ったけれど、僕が言葉を発する前にマスターの言葉が続いた。

 

「俺のせいだよな」

 

何がですか、と聞きたいのに、マスターの言葉を遮ることは許されない。

 

「もう、苦しまなくていいから。カイト。」

 

僕は苦しんでなんか居ません、マスターが苦しそうだから、僕は心配なんです

だから、マスター、そんなつらそうな声を出さないで

 

「ごめんな。」

 

もう、甘えないから

 

マスターはそう言って、僕から手を離した。

そして、僕が見たマスターの表情は、

 

あの夢と同じ表情で

 

 

「好きだって言ったの、忘れて?」

 

 

おなじことばを ぼくにつげた

 

 

 

 

 

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マスターはカイトを離すことがカイトの幸せだと思った。
言葉が足りない二人。