ずっと何も考えていなかったんだと思う。
自分がそこにいるかどうかも曖昧な感覚。
そこに光が差した瞬間、僕は初めて自分というものを認識した。僕に光を与えてくれたのは、マスターです。
欲望
僕を目覚めさせてくれたマスターは、今は部屋にいない。
学校に行ってくる、と言って、今朝早くに部屋から出て行った。
此処はどうやらマンションの一室らしく、それでもマスターの住むこの部屋は広かった。
僕専用の部屋まで簡単に与えられるほど部屋が余っているらしい。「あっ、そうだ!」
ふと口さびしく感じて、いそいそと冷蔵庫をあける。
此処には僕の癒しがあるのだった。
そして取り出した僕の癒し、バニラアイス。
僕の電子辞書の中には無かった「アイス」という食べ物は、マスターから教えてもらったものだ。
銀色のスプーンを食器棚から取り出し、さっそく一口。「……おいしい……」
味覚はあるものの、もともと食べることは必要が無い僕には、食べ物に関する知識は一切無かった。
これは、甘い。マスターが教えてくれた味。
唐辛子も食べさせられて、辛い味を覚えたし、他にも苦い味やしょっぱい味を教えてもらった。
食べ物に関する知識も、マスターが学校に行っている間にパソコンのネットワークに僕をつないで、ちゃんとダウンロードした。「カイトー、ただいまー。」
「マスター、お帰りなさい」マスターが帰ってきた。嬉しくて、笑顔でマスターを出迎える。
だけど、今日はいつもとは違って、マスターの隣には、一人の男の人がいた。「コイツ、俺の友達。」
「あ…は、初めまして。」マスターのお友達が突然来たことに少し驚きつつ、にこっと笑って挨拶をした。
するとマスターが少し怪訝そうな顔で僕を見た。…何か変な笑い方になっていたのだろうか。「借りたCD渡したら直ぐに追い返すから。ちょっと探してくるから、カイト適当に相手してて」
「え?あ、はい」そういうと、マスターは急いで自分の部屋に入っていった。
それを見送ってから、僕はマスターの友人に目を戻す。
身長はマスターより少し高いくらいで、僕よりは少し低いくらい。
顔は…どういうのがいいのかわからないので判断できないけれど、マスターの部屋にあった雑誌に載っている人と同じくらい。
髪の色は茶色で、瞳も少し茶色っぽい。
直ぐにコレを記憶する。次に会ったときにも直ぐにわかるように。「へー、コレがボーカロイドか…えと、カイトだっけ?」
「はい。」
「すげー…人間と全然変わんないじゃん。飯とか食えんの?」
「はい、一応。」
「歌とか唄うためのアンドロイドなのに、味とかわかるんだ」
「はい。」
「すっげー、俺も欲しくなってきたなー。」マスターの友人はどうやら僕に興味津々のようで、瞳の輝きが少しばかり増したように思える。
突然マスターの部屋から、何かが落ちた音が聞こえた。どうやら物を落としたらしい。
…そういえば、マスターの部屋はどのくらいの散らかりようなのか、見たことが無い。「でもさ、普通のボーカロイドって、ディスクじゃなかったっけ?」
「僕は試作品で、ネットで購入された方の中からランダムに選ばれた方に派遣されるアンドロイドなんです。」
「へえ、じゃあ特別ってわけか。」
「はい。体のあるボーカロイドは、僕以外に数体いるだけです。」
「じゃあさ、怪我とかする?風邪とか引いたりさ。怪我したときって、血とか出んの?」
「あ……人の風邪は引きませんが、コンピューターウイルスに感染すると、風邪のような症状が出ることはありますよ。怪我は……」するの、か?
僕はボーカロイドで、ロボットだけれど、怪我をした経験は今のところ一度も無い。
血、は確実に流れてはいない。ロボットだから。
人口皮膚の下に流れているのは、潤滑液だ。
色は何色なのか、わからないけれど。「あった、CD。ほら。」
マスターが(何故かボロボロで)走って来て、友人にCDを渡す。
助かったかもしれない。なんと言っていいかわからなかったから。「ん、サンキュ。それにしても、すげーなー、お前のボーカロイド。」
「そ?」
「そーだって!いーなー、俺もボーカロイドほしくなったわ。んじゃなー。」
「おう」友人が部屋を出た後、マスターを見ると、少しどこか誇らしげに見えた。
マスターが嬉しそうで、僕も嬉しい。「どんな話してたんだ?カイト。」
「あ、色々と僕の事について聞かれたので答えてました。」
「へぇ。」部屋に戻ろうとするマスターの後ろを付いていきながら、マスターと会話をする。
何気なくマスターの手に目をやると、指先には見慣れない赤い色が付いていた。「マスター、右手に赤い液体が付いてます。」
「え?うわ、血じゃん。さっきどっかで切ったかな。」そういいながら、マスターは血の付いた人差し指をぺろりと舐めた。
ああ、これが血なのか、なんて思ったら、気が付いたらマスターの右手首を掴んでいた。「…?何?カイト。」
「いえ…えと、どうして舐めるんですか?」
「へ?…あー、ほら、唾液には殺菌作用があるみたいじゃん。だから、舐めたら治るかなって」
「舐めると、治るんですか?」会話をしながらも、僕の意識は少し違うところに飛んでいた。
マスターの、血液。僕とは違って生きている証。
綺麗なマスターの指先。どんな味がするんだろう
「っカイト!?」
マスターが突然大声を上げた。
気が付くと、僕はマスターの指先を口に含んでいた。
慌てて口から離して手首も離すと、マスターははじかれたように僕から遠ざかり、顔を真っ赤にして指を抑えていた。
僕も口を押さえて、あまりの恥ずかしさに何もいえない。
僕は今、何をした!?「な、何すんだよ!」
「あの…舐めたら、治るって…」
「だからってお前が舐めなくてもいいの!」
「す、すみません……」少し口の中に残った味は、きっとマスターの味。
「あの…マスター」
「何だよっ」
「マスターって、甘いんですか?」
「は?」何言ってんだコイツ、とマスターの目が訴えているような気がする。
「だって、マスターの指、アイスなんかよりもすごく甘くて」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!カイト、当分アイス抜き!!」
「えええっ!?そんな!!マスター、どうしてですかっ!?」
「どうしても!!どこでそんな口説き文句覚えてきたんだよ!!」
「口説き文句なんか覚えてませんよーっ!」
「じゃあ天然か!天然たらし!天然みたらしー!!!」
「マスター、支離滅裂ですっ!みたらしって団子じゃないですか!」
それから一週間、マスターはアイスをくれなかった上に、話しかけても最低限の返事しかしてくれなくなった。
一体何がいけなかったんですか、マスター!!
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少しヤンデレが入ったカイト。そして天然たらしのカイト。
マスターは大学一年生です。