感染

 

 

マスターは今日も大学に行っている。
自分にネットを繋ぎ、目を閉じて情報検索モードに入った。
時折こうして、ネットからいろんな情報を探して記憶する。
それは料理だったり、唄い方だったりとさまざまだ。

感覚としては、図書館等で本を探すようなものに似ていると思う。
ただ、全てデータだけど。

色々な情報を取得して、ゆっくりと目を開ける。
時計に目を移すともうじきマスターが帰ってくる時間だった。
自分につなげた配線を抜いて、体を伸ばす。

ふと歪む視界

 

「…マスター…」

 

怖い。
もしかしたら既に、どこかが壊れているんじゃないか?
視界にノイズが入るなんてことはありえない。
テレビの調子が悪くなったような画質の荒さ。
何がいけなかった?何が悪い?

 

「ただいまー、カイト。」
「おかえりなさい、マスター。」

 

マスターが帰ってきた。
不安をかき消すように一度瞬きをして、マスターを迎えに行く。
体はちゃんと動いてくれて、視界も正常に戻った。
マスターの声だけが、僕を正常にしてくれる。

 

「当分、学校行かないから」
「どうしてですか?」
「夏休み。」

 

ふあー、とあくびをして、マスターはソファーに深く腰掛けた。
マスターを見ると、じわっと胸が熱くなる。
きっとコレが、恋をするという感情なんだろう。

 

「コーヒー淹れましょうか?」
「ん、冷たいのがいい。」
「わかりました。」

 

ちょうどさっきネットから取得した情報を使って、コーヒーを淹れる。
マスターをちらっと見ると、こくこくと船をこいでいて、酷く疲れているのが見て取れる。
そういえば、眠い人がコーヒーを飲むと、眠れなくなるんだっけ。
コーヒーでいいのかな、と思いながらもコーヒーを淹れ終わり、マスターのところへコーヒーの入ったグラスを持って行った。

 

「どうぞ、マスター。」
「ん、ありがと」

 

マスターに渡すと一気にそれを飲み干して、グラスを僕に返した。
のどがかなり渇いていたらしい。

 

「そういやカイト、最近ネットつないだ?」
「え?」
「最近、新しいウイルスがはやってるらしくてさ。」

 

俺のパソコンはプロテクトかけてるから大丈夫だけど、お前はどうだか知らないから。
というマスターの言葉に、僕は目を見開いた。

 

「さっき繋いだばかりですけど…でも、ウイルスは検知されませんでした。」
「そっか、ならいいんだけど…なんか特殊なヤツらしいから。」

 

気をつけろよ、と言われて、マスターに頭をなでられた。
僕は試作品のボーカロイドだから、ウイルスに完璧な処理がしてあるわけじゃない。
既に処理方法が見つかっているウイルスは除去できるが、新しいものとなると簡単に破壊されてしまう。

 

「…マスター、もしも僕がウイルスに感染していたら…どう、しますか」
「え?えーと…お前、パソコンとは勝手が違うからな…多分、製造元に」
「嫌です」

 

マスターが言葉の続きを言わなくても分かった。
もしもウイルスに感染したら、製造元に引き渡される。
そうなったらきっと、試作品の僕は、マスターの元へは戻らない。
そんなのは嫌だ。

 

「嫌って…でも、直してもらうにはそうするしかねーじゃん」
「でも、嫌です。マスターの傍を離れたくありません。」

 

マスターは困惑した表情で僕を見ている。
マスターが困っている、やめなくては
でも、止まらない。

 

「マスター、お願いです、たとえ僕が壊れても、貴方の傍に置いていてください。」
「カイト、落ち着けって…お前が壊れてるわけでもあるまいし」
「お願いです、マスター!」

 

僕を見捨てないで

 

「…………わかったよ、出来る限りなんとかしてやるから」

 

だから、泣きそうな顔すんな、と言われて、僕は初めて自分がどんな表情をしているのか知った。
マスターの手が僕をなでる。
それが心地よくて、目を閉じる。
優しいマスター。大好きなマスター。
この人の傍を、離れたくない。

 

「ありがとうございます、マスター。」
「ん。」

 

ぎゅう、と抱きつくと、マスターは子供をあやすように背中を叩いてくれた。
嬉しくて、抱きつく腕の力を強めると、苦しいといわれてしまった。
ああ、僕はこの人が好きだ。好きだ。大好きだ。

 

 

 

 

 

 

「ふぁ…そろそろ寝るか」
「はい、マスター。」

 

真夜中になって、パソコンと向かい合っていたマスターはようやく寝ることにしたらしい。
夏休みの宿題として出されたレポートを完全に仕上げてしまうつもりらしく、後はプリントアウトするだけらしい。

 

「あー、コレで夏休み中楽だー。」
「お疲れ様です、マスター。」

 

マスターが立ち上がって、自室へ向かおうとするのを見て、僕も立ち上がった。
くらり、と、視界が歪む。
またノイズが入り、ぐらりと体が傾いた。

 

「っ…」

 

転ぶ、と思った次の瞬間、傾きは止まり、マスターの姿が前からなくなっていた。
何かに支えられる感覚がして、上を向く。

 

「何やってんだよ、立ちくらみか?」
「あ…りがとうございます、マスター。」
「ったく、気をつけろよ」

 

マスターが支えてくれたらしい。
マスターの顔が近い。
マスターの、香り

 

バチッと、頭の奥で何かが弾けた音がした。

 

「マスター…」
「ん?」
「僕、は」

 

動作が遅い。

体が思うように動いてくれない。

唯胸が熱くて、思考が混乱している?

口が動かない

視界がどんどん暗くなる

そんな、嫌だ

マスター

マスター、マスター、マスター!!

 

「カイト?」

 

ああ、ごめんなさい。また貴方を困らせてしまう。

 

 

「僕は、壊れてしまいました」

 

 

ざざ、と砂嵐のような音が大きくなり、マスターが何を言っているのかわからない。
視界はもう暗闇に近くて、マスターがどんな表情で僕を見ているのかわからない。
キュインと音がして、目が見えなくなった。
ブツッと音がして、耳が聞こえなくなった。

 

思考が、止まった

 

 

 

 

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ノイズが始まった時点で、既にウイルス感染してた