「マスター。」
「んー?」
「キスってどんな感じですか?」

 

カイトが乱心した。

 

 

 

経験

 

 

 

ぶふーっと思わず口に含んだ紅茶を噴出して、テーブルの上がびちゃびちゃになってしまった。
どこかの漫画にあるような噴出し方で、慌ててティッシュでカイトがぬぐう。
そのカイトはおかしな様子もなく、いつもどおりだ。
いつもどおりの思考でどうしてキスなんてことに行き着いたんだ…!?

 

「か、カイト、今、なんて言った?」
「キスって、どんな感じですか?」

 

そういうカイトの目は、純真な子供そのもので、好奇心で満ちている。
誰だ、俺のカイトにこんな破廉恥なことを植え込んだのは。
しかしカイトがそっちに目覚めたわけじゃなさそうなので、まぁここは「どうやって子供作るの?」とか聞かれるよりマシか。

 

「えーと…それはどういう事を聞いてるんだ?どうやるのか?それとも気分?」
「両方です!」

 

あぁもうだめ、俺耐えられない、この純真な視線。
ほんと、カイトにこんなこと吹き込んだヤツ見つけたら、一発殴ってやる。
というか、こういう質問をしてしまうほどボーカロイドってのは純真なのか?

 

「あー、うーっと、なんていうか……」

 

ファーストキスもまだ、と言うほど若くもないが、それでも右手の人差し指だけで数える程度の経験だぞ。
しかも親と。ちょっとした事故で。俺だって覚えてねぇ。
ほんの一瞬だし、相手父親だし、挙句記憶からほぼ抹消されつつあった記憶だし、説明するには不十分だ。
どう説明しようか迷っていると、カイトが助け舟とは思えない発言を投げかけてきた。

 

「やっぱり、実際にしてみないとわかりませんよね」
「あ?あー、うん、まぁ、そう。」
「じゃあ、マスターとしてみていいですか?」

 

とりあえず答えなくていいことにほっとして紅茶を口に含んだのに、また噴出してしまった。
何、何言い出したのこの子。
ってああ、また純真なきらめきが。
好奇心も時には問題になるんだぜカイト!

 

「いやいやいや、そもそも男同士ですることじゃねーし!」
「でも、マスターしか居ないんです」
「なんで!?つーか、何で急にそんな事聞いたんだよ!」
「マスターが居ないうちにネットで他のボーカロイドの歌を聴いてたんですけど、よく歌詞のなかにキスとか入ってたんですよ。」

 

はー、なるほど、それで興味を持ったわけか。
でもそれがキスしてもいいという理由にはならないわけで。

 

「歌に入れるんだから、やっぱり経験しておいたほうが、上手く唄えますよね」
「う?…う、ん」
「なので、マスター、お願いしますっ」

 

歌に対する純粋な気持ちで言い出したのか。
両手を合わせて頼むカイトを見てなんだか少し気持ちがしぼんだ気がする。
何でだかわからないけれど、無性に腹が立ってきた。

 

「絶対嫌だね。」
「えーっ、そんな!」
「そもそも、キスってのは好きな相手とするから意味があるんだって。お前の聞いた歌でもそーだろ?」
「……はい」

 

思い出したような顔で肯定すると、カイトは少し考え込んだ。
やっぱりそういう事は考えないで言ってたわけだ。
俺はコイツに振り回されたわけで……なんか、ホント腹が立ってきた。

 

「じゃあ、やっぱりマスターがいいです。」
「は?」
「だって、好きな相手とでしょう?」

 

ね?と言って笑うカイトの顔を、呆けて凝視すること5秒。
一気に自分の顔が赤くなったのが分かって、慌てて見られないように後ろを向く。
カイトをちらりと振り向くと、何もかも分かったような顔でにこにこ微笑んでいた。
ちくしょうムカツク。
さっきまでとのイラつきとは違う感情が沸き立ってきたぞ。

 

「マスター、ダメですか?」
「ダメに決まってんだろ!そそそそそういうのは、両思いになってからだ!」

 

熱でパンクしそうな頭でどうにか返答すると、カイトから戸惑いが伝わってきた。
諦めたか、と思い、幾分落ち着いたので振り向いてみてみれば、カイトは笑っていて。

 

「両思いになってから、ってことは、マスターも僕の事好きになってくれるんですね!?」
「へっ?」
「今はまだ僕の片思いですけど、いつかマスターも僕の事好きって----------」
「わああああああ五月蝿い黙れ静かにしろー!!」

 

今度こそ顔を茹蛸みたいにして、俺は一目散に自分の部屋に入って鍵を閉めた。
カイトが「ああっ、マスター!」なんて戸惑いの声を上げているが完全無視だ。
何なんだ、ほんと。カイトは恋愛経験皆無なはずなのに、なんでこんなに俺が翻弄されている?
俺はちゃんと今まで恋の一つや二つこなしてきたわけで、そういった知識もあるほうなのに!(キスまで行ったこともないけど)

もしかして、それだけ俺は本気になりつつあるのかもしれない。なんて思ってしまって、俺は壁に頭をぶつけたい衝動に駆られた。

 

(そんなわけないってのボーカロイドに恋するなんてそんな)

 

 

そんな 報われない恋

 

 

(だって たとえ両思いになったっていつか俺はカイトを置いて行ってしまうかもしれないのに、そんなの)

 

 

 

 

 

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カイトに吹き込んだヤツとは事故編終わればもう直ぐ会えます。
自覚し始めたマスターだけど、理性がそれを認めない。