事の発端はなんだったか、もう覚えて居ない。
逃走劇
怯えながらも傍に寄ってくる草食動物。
牛柄のシャツに角とは、正にそのまんまだと思ったのを覚えていた。
昔、綱吉についてきて学校へきていた時から10年が経つ。多少常識がついてきたかと思えば、本質は全く変わっていなかった。
「雲雀さん…!」
「……邪魔。どいてくれる?」
「はい…」
僕を見るだけで、怯えて眼に涙を滲ませる彼。
昔から泣く時ぎゃあぎゃあと喚くのを見ている僕は、それを思いだして苛立ちを覚える。
何故か勘はいいようで、それを察した彼はまた、眉根を寄せて涙を堪えようとする。
ふと最近になって、何故苛立つのかの理由が、思っていたものと違うことに気が付いた。
近づくだけで涙目になるのは、腹が立つ。
声を出しただけで泣きそうになるならば、彼の言葉だって聞けやしない。
まして、こちらから声をかけても、涙は滲むばかりで一行に引くことは無い。綱吉と話している彼は本当に楽しそうに笑っていて、それを見た時驚きと同時に怒りがこみ上げてきたのも、同じ理由だったんだろう。
その顔を僕にも向けて欲しい。
知らない表情など、ないように。
ああ、そのためには傍に置いておけばいい。
となると、と考えて思い至った選択は、彼を捕まえることだった。
「あ、ランボ!」
「どうかしたんですか?ボンゴレ。そんなに血相を変えて…」
「ひ、雲雀さんに何かしたの?」
「はい?」
雲雀さん。と名前が出てきて、一瞬心臓が跳ねる。
尊敬してやまない最強の守護者。
その強さは昔から変わる事なく、そして俺の目指す頂から一度も動いたことが無い。
クールで、強くて、かっこいい。俺の憧れの人だ。けれど、明らかに文脈と話し方、そして表情からしても俺にとっていい話しとは思えない。
思わず顔を引きつらせて心当たりを探してみるけれど、何も思い当たらなくて首を傾げる。
「いや…えっと…何もしてないと思うんですけど…どうしてですか?」
「……雲雀さんが、君を探してるんだよね」
「えっ」
「しかも、俺やリボーン、あと山本も聞かれたって言ってた…あの雲雀さんが俺らに聞いてまで探してるなんて、やっぱり何かしたんだよ!」
「い、いやっ…だって俺何もしてませんよ!?本当に!」
「でも雲雀さんすごく機嫌悪そうだったし、その…い、一応逃げておいたほうがいいかも…」
ボンゴレの言葉に俺は高速で何度も頷く。
機嫌が悪い時の雲雀さんは、子供の頃の俺ですら容赦なく首を絞めるほどに恐ろしい。
馬鹿な子供だった俺は雲雀さんにちょっかいをかけては返り討ちにあっていたことを思い出し、さあっと血の気が引いた。そしてボンゴレと分かれて、自分の部屋へと足を向ける。
そうだ、篭っていよう。
自分の部屋に入って、鍵を閉めて、あとはもう誰もいませんってふりをしてベッドで一人震えていよう。
と思ったところで、雲雀さんならドアも蹴破るんじゃないかと思いなおして足を止めて方向を変える。
いっそ、このまま屋敷の中をうろついていたほうがいいのかもしれない。
広大なこの屋敷の中で、お互い目指すところも違うのに歩いているとほぼ確実に捕まらないのだから。もしこれで、偶然でも出くわすことがあったらそれはもう運命以外の何者でもない、なんて
「あ。」
角を曲がってきた、黒いスーツに黒の髪のアジア系。
鋭い目が俺を捕らえた次の瞬間。にいっと、口の端を吊り上げた、雲雀さん。
「わぁああああああああ」
「ちょっ」
全速力で雲雀さんと反対方向へと駆け出した。
なにやら詰まった声で呼ばれた気がするけどもうそんなことは関係ない。
怖くて怖くてしょうがなくて、俺はとにかく前だけを向いて駆け出した。逃げ足の速さには自信のある俺だ、かつてはビアンキから逃げ切った記憶…あれはボンゴレに助けてもらったんだったか?
それでも逃げ足は速いほうだ。昔も鬼ごっこには自信があったし。
そろそろまいたんじゃないか、と思って振り返る。
「僕から逃げようなんて、いい度胸だね」
「何で追いかけてきてるんですかぁあああああ」
しかも、あと数センチの差で、俺は雲雀さんの射程距離に入ってしまう。
その差も徐々につめられているのが分かり、俺はこの人は本当に化け物みたいに完璧すぎると何故かここでも尊敬してしまった。
しかし、捕まって何をされるのかわからない今、止まるわけにはいかない。
…ん?ちょっと待て。この人は何の為に俺を探しているのか、ボンゴレも言ってなかった。
ただ機嫌が悪そうだった、という情報を鵜呑みにして、悪い事のような気がして今こうして逃げているけれど。
「ひ、雲雀さん俺に何の用なんですか!!そんな全速力で追いかけるほどのことなんですか!?」
「そうだね、重要と言えばそうだけど」
「お、俺を捕まえないと喋れないことですか!?」
「君に言わないと意味がないことだね」
「な、殴ったりしませんか!?」
「……君が素直に頷いてくれたら、多分しないよ」
多分、それでも保障はしてくれた。
徐々にスピードを落として、歩くくらいの早さになってから振り返って足を止める。
そもそも、機嫌が悪かったら俺の言葉に返答なんかしてくれないわけで。
つまり、今はそんなに機嫌が悪いわけじゃないということ。
…もしかしてボンゴレと会話したとき雲雀さんが不機嫌だったのは、三人もの人にわざわざ尋ねたのに知らない、と言われて無駄足を踏んだからだったのかもしれない。
「ご、ご用件は……」
「…君、」
雲雀さんはやっぱりカッコイイ。
あんなに走ったのに、俺みたいにぜぇはぁみっともなく息を乱してないし、背筋もぴっとしている。
切れ長の目と、白い肌はアジアンビューティーと言ってもいいんだろうか。
ふわふわの髪の毛、一回触ってみたいなんてことを思った事もあったなぁ。
「僕のものになってよ」
「…へ?」
「返事は?」
そんな人だから、俺に今かけられた言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
そして、さっき、俺を殴らないと言った時の言葉を思い出す。素直に頷けば
「……これ、俺がもし嫌ですって答えたら」
「咬み殺す」
拒否権は、俺に残されていなかった。
(いや、そもそもここで嫌だなんていうわけがないんだ。だって彼は俺の、いつまでも絶対で、最強の、憧れの人なんだから)
--------------------------------------------------------------------------------
ツナが余計な事をランボに言わなければ無駄な労力を使わずに済んだはずの話。
Humaさんのリクエストで、ヒバランで告白しようとする雲雀さんと何故か全力で逃げるランボでした!
リクエスト、ありがとうございました!