夜。

仕事をようやく片付けることができた。
溜息を付いて眼鏡を外し、眉間を押さえる。

日常が戻ってきた、とも言うべき現在の状況はかなり忙しい。

大地を降下させたことによる不具合の報告などがほとんどを占めているが、
戦争という大きな事件を回避できたことで、今まで潜んでいた小さな犯罪が起き始めたせいもある。
その沢山の事柄に対する処置を指示しなくてはならない現状はいささか面倒だ。

 

(彼はどうしているだろうか)

 

様々な街を巡った仲間が今どうしているのかはよく耳にしていた。
しかし、たった一人だけ連絡もなく、今何をしているのかわかっていない。

 

(……アッシュ)

 

あの子供は今どうしているだろうか。

自分の生み出した技術の犠牲者の一人である彼は、神託の盾に戻っている、のだろうか。

その気になればいくらでも連絡など取れるが、わざわざただ安否が知りたいが為だけにこちらから接触をするのは幾分躊躇われてしまう。

おそらく、アッシュから接触がある時でさえ何かしら重要な理由があったことも関係しているんだろう。

 

(何か理由が欲しい。…心配などという些細なことではなく、もっと)

 

彼にこちらから接触をしなければならないのだと、追い詰められるような重大な理由。

 

(そうでなくては、連絡をとっても顔を見る事は出来ないでしょうし)

 

ルークと同じ、けれど眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔を思い出す。
きっと彼ならば、くだらないことでいちいち連絡をしてくるな、と一言言うだけだろう。
心配など自分には不要だと。もしかしたら皮肉の一つも返してくるかもしれない。

 

(…彼が私の作った技術の犠牲者だから、安否を確認したい…のか?)

 

ふと浮かんだ疑問について思案してみるが、思うことは一つだけ。

 

会いたい

 

ただ、それだけだった。

 

「カーティス大佐!失礼します!」

 

ノックの音と、部下の声が部屋に響く。
眼鏡をかけなおし部屋に入ることを許可するや否や、兵士が慌てた様子で勢い良くドアを開けた。

 

「宿屋付近で、住民のいざこざがあったようです!現在軍に駐在している方は大佐しか居られませんでしたので…お休みのところ申し訳ありませんが、」
「わかった。直ぐに向かう。」

 

休む暇もないか、と溜息をついて上を羽織り、ジェイドは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

+ +

 

 

 

 

 

「…………貴方は……」
「……………。」

 

赤く、長い髪。

碧の目。

整った顔立ち、そして眉間の皺。

 

「……アッシュ?」
「たった数日で人の顔を忘れたのか」

 

苛立ちを含んだ声色に、思わず苦笑を零す。

 

(…まさか、こんなに簡単に会えるとは)

 

宿屋で酔っ払った商人が暴れだし、女性に絡みだした。
それを、偶然同じ宿に泊まっていたアッシュが治めたらしい。
面倒ごとに巻き込まれたことに相当腹を立てている様子だったが、同じテーブルについて腰を下ろすと、幾分か落ち着いたようだった。

 

「お久し振りです。」
「ああ。」
「こちらには何の御用でいらしてたんですか?」
「…………。」

 

ぐっと苦虫を噛み潰したかのような顔になったかと思ったら、急に押し黙ってしまった。
聞いてはまずいことだったか、と、ごまかすように眼鏡を指で押し上げる。
しかし、今更私に言いにくいようなことなどあるのだろうか。

 

(ヴァンがらみなら、わざわざ言いよどむ必要もないでしょうし)

 

私的な用事で来たのならばそういえば特に詮索はしないのに、と思ったところで、もしかしてアッシュは嘘が下手なのかもしれないと思い至る。
ルークはルークで嘘が下手どころの話ではないが、オリジナルであるアッシュもそうなのだろうか。

 

(…レプリカとオリジナルを比較するわけではありませんが、やはり似てますね)

 

アッシュは嘘が下手、というより、過去の言動を振り返ってみるに嘘やごまかしが嫌いな性格なのだろう。
嘘をつかれるのも、言うのも嫌だ、という種類の人間なのかもしれない。
ヴァンに今まで欺かれ、裏切られたと思っている彼ならばありえることだ。

そして、だからこそルークとアッシュは似ている。

要するに、不器用なのだ、と。

 

「言いたくない事なら、別に詮索はしませんけどね。マルクトに関係することでしたら早めにおっしゃってくださいよ?」
「いや……そういったことは関係ない。」
「それはよかった。早く用事が済むといいですね。」

 

当たり障りの無い笑顔を向けて、適当にかわす言葉をつかう。
こうした処世術を身につけるにはルークは幼く、アッシュも経験不足だ。
案の定どう返すべきか迷っているらしく、意志の強い瞳が珍しくあちこちに彷徨っていた。

 

「…一応この騒ぎの調書を取らなくてはならないのですが、神託の盾の総長鮮血のアッシュで有る事は伏せたほうがいいですか?」
「そうしてくれ。」
「わかりました。ではそのように指示しておきます。」

 

彼の顔に目を向ける。
いつもと変わらない様子のその顔に、うっすらと隈があるのが見えた。

 

「…最近眠れてないんですか?」
「!」
「目の下に隈が出来てますよ?若いからとあまり根をつめすぎると、身体を壊しますから気をつけたほうがいいんじゃないですか?」
「…最近昔の夢を見る。」

 

てっきり皮肉が返って来ると思ったのに、小さく呟かれた言葉は酷く弱弱しかった。
一瞬ふっと表情が沈んだのを見て、おそらく酷く悩んでいるんだろう。
直ぐにその表情は引き締まったが、見えてしまった彼の弱さを目の当たりにして、私はただ口をつぐんだ。

 

「俺とルークが入れ替わった日のことを、何度もな。それ以前の記憶も、その後の数年間の記憶も…正直うんざりしている。」

 

履き捨てるように言い切ったが、目は確かに揺らいでいた。

 

「夜中に目が覚めた時、……」

 

一度開いた唇を閉じて、もう一度開いてまた閉じる。
何か言いたいのはわかったが、言うかやめるか迷っているんだろう。

 

(…彼が、こんな弱音を言うのは初めてですね)

 

しかも、私に。
彼の性格ならば、意地でも他人には言わないだろうに。
私ならば口外しないと思われているのかもしれない。
実際今聞いたことは誰にも言うつもりはない、が。
変わりに私は慰める術も知らない。

 

(慰められたいのではなく、ただ聞いて欲しいだけ、ということですかね)

 

それでも彼がここに来た理由とは何の関係もない。
弱っているのを見抜いたから、仕方なく話し始めたというにしては彼らしくも無いことまで話してしまっている。
そもそも、以前の経験からして彼ならば意地でも弱っていることを話しはしないだろう。
何か可笑しいと、思ったその時だった。

 

「…お前に会いたいと思った。だから、俺は此処に来たんだ」

 

目も合わさず、酷く言いづらそうに小さな声。

 

けれど、確かにはっきりと、私に会いたいと思ったのだと口にした。

 

 

 

 

 

 

 

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次でラストです。