いずれ自分は誰かのものになるのだと、アッシュは理解していた。

 

 

 

一夜

 

 

 

「アッシュ、おまえはもうすぐ隣の国へ行ってもらうことになるだろう。
 そこで武技を見せ、気に入られれば召抱えられることになる。」

 

行ってくれるね?と訪ねた父親に対して、アッシュは恭しく礼をした。
紅く絹のようにしなやかな髪が肩を滑り落ちる。

アッシュの父は、その国の王だった。

高い城壁に囲まれたその国は、物資に窮する貧しい国だった。
そのため、隣国から沢山の救援を受け、唯一の資源である宝石を輸出している。
国の立場は弱いため、王は常に周りの国への気配りを欠かすことはできなかった。

アッシュの召抱えの件に関しても、その一環として話はついていた。
本来ならば一国の王子である立場のアッシュが、他国の兵士になる必要は全く無い。
しかし、軍を持たないアッシュの国は今、隣国に護られている立場にある。
その隣国から直々に、王子を軍の指導者として寄越してほしい、といわれれば、断ることはできないのだ。

 

「お前が軍を率いる立場になった時には、こちらへ戻ってくることが出来るだろう。」
「心得ています、父上」

 

眉間に皺を寄せ、何かに耐えるように唇を結んだアッシュの父は、目を伏せた。
それを合図に、アッシュはもう一度礼をして踵を返し、謁見の間から退室した。

 

----もしも父上が私利私欲の為に動く人であったなら、今すぐ逃げることも考えたんだがな。

 

自室への廊下を歩きながら、アッシュは眉間に皺を寄せた。

昔から、アッシュは自分がこの国の王になることはないだろう、と確信していた。
双子の弟であるルークはどうかわからないが、アッシュはこの国が非常に危うい状況にあることを知っている。

隣国はいずれも国軍を有し、しかもそれぞれ優秀だと聞いている。
しかしそれを扱う国王達は、アッシュの父とは違い私欲に走る性格があった。
そのため、少しでも気分を害そうものならば、直ぐにでもその国を取り潰そうとしてしまう。

この国は軍を持たない分、そうした危険がさらに増している。

今、アッシュたちがこうしていられるのは、アッシュの父が周りへ心を尽くしてきた成果だった。

 

(隣の国の奴も、どうせ俺の外見が目当てだろうな)

 

丁度ガラスが反射し、アッシュの顔を映し出す。
真紅の長い髪に、碧の澄んだ切れ長の瞳。
この国の王族以外、この髪と眼の色はありえない。
特にアッシュは色濃くその遺伝を受け継いだ。

ひときわ美しく鮮やかな髪と瞳は、見るもの誰もを魅了した。

 

「アッシュ!父上、何だって?」
「ばたばた走るな、ルーク」

 

廊下の向こうから駆けてきたのは、双子の弟であるルークだった。
髪の色は赤からオレンジへと、毛先に行くにつれて淡くなり、グラデーションのようだ。
そして瞳は、アッシュよりも少しばかり明るい色をしている。
心配そうなルークの表情を見て、アッシュは溜息をついた。

 

「もうじき隣の国へ行かなくてはならないらしい。いつ帰ってこれるかはわからない」
「アッシュだけ?俺は?」
「お前は国のことがあるだろうが」
「何言ってんだよ、第一王子はお前だろ?」
「父上が直々に、俺が隣国へ行くようにと言った。この意味がわかるか?」

 

ルークは苦虫を噛み潰したような表情になった。
二人の父は、こういう時は二人に決めさせるような人だった。
それが最初から片方にだけ話を持ちかけたということは、その隣国からアッシュの方を寄越すようにといわれたのだろう。
その事がわかったルークは、小さく悪態をついた。

 

「アッシュはそれでいいのかよ!どうせ隣の国の奴、アクセサリーとして俺達が欲しかったんだ。この間言ってただろ!」
「お前はガイやナタリアの知恵を借りて、国を治める努力をしろ。これからは万が一があった時は、お前がこの国を率いる立場になるんだからな。」
「俺は嫌だからな、そんなの!あ、いや、王になるのが嫌とかそういうんじゃなくて…アッシュがそんな扱いされるのは、嫌だって話。」
「今更どうにもならない。受け入れるしかないんだ。」

 

そう言いながら、アッシュは強く手を握った。
あまりに強く握りすぎて、爪が食い込んだ掌から血が流れたが、アッシュもルークもそれに気付かなかった。

 

「……どうせなら、マルクトがアッシュを攫ってくれたらいいのに。」
「マルクト?あの盗賊団か?」
「この国に、今来てるんだってさ。俺、あのバカ国王のトコにアッシュが行くより、その盗賊に攫われたってことになったほうがいいな。」
「………どういう意味だ、ルーク。」

 

自分が盗賊に攫われるようなマヌケだと思っているのか、と言わんばかりに、アッシュは眉を吊り上げた。
それに気付いたルークは慌てて手を目の前で振って、違う、と何度も呟く。

 

「あの国に連れて行かれたらもう帰ってこれないかもしれないけど…盗賊団に攫われたって話で、あの国がアッシュを諦めてくれたらいいのになって。アッシュなら盗賊に攫われたって、ぶっ潰して戻ってくることぐらい…しそうだし。」
「……つまり、一旦攫われて、隣の国が諦めたら戻って来いということか?」
「そうそう。」
「ふざけるな、屑が!盗賊なんかに攫われるくらいなら、自分の足で隣国に行ったほうがまだマシだ!」

 

しまった、という風にルークが眼を瞑ったのを見て、アッシュは鼻を鳴らして足早に自室へと入っていった。
見知らぬ輩に攫われるなんて屈辱を味わうくらいなら、この国の為にと決意してしまうほうが何倍もマシだとアッシュは思った。

盗賊団マルクト。

国から国へ渡り歩き、神出鬼没の盗賊たちが、この国に来ているとは。
マルクトはただの盗賊とは違い、行動力も頭脳も桁外れだと聞いている。
頭の大胆不敵な行動力と、その右腕の恐ろしいほどの知識によって、今まで盗めなかった宝は無い。
盗まれた宝の数々は、いつの間にか持ち主に返っているか、売り払われているという話だ。
持ち主に返ってこなかった宝は、その持ち主が不正に入手したものだと、後になってわかるそうだが。

 

(義賊でも気取っているつもりだろうな、どうせ)

 

ベッドへと腰を下ろしたところで、自分の掌が傷ついていたことに気がついた。

もうすぐ、自分はこの親しんだ部屋とも、この国とも離れなくてはならない。
幼馴染であるガイや、ナタリアとも別れ、自分は一人隣国へと離れるのだ。

 

(明日は街へ行くことにするか)

 

今のうちに街の姿を眼に焼き付けておこうと思い、アッシュは掌の手当てを終えてベッドへと寝転んだ。
窓の外で光る星をぼんやりと眺めながら、アッシュは思う。

 

(盗賊団マルクト……その右腕の頭脳を借りることが出来たなら)

 

自分が隣国へ行かずに済むような何か知恵を与えてはくれないだろうかと、馬鹿らしい事を考えて、
それから自嘲気味に口の端を吊り上げて、眼を伏せた。

そう都合よく何もかもが上手く行くはずはないのだと自分に言い聞かせながら、アッシュは目を閉じて眠りへと落ちていった。

 

 

 

+++

 

 

 

 

「ジェイド!どうだ?この宝石!」
「……今度は何処から持ち出してきたんですか?」
「そこの店だ。盗んだんじゃないぞ?ちゃんと買った。」
「私たちは何をやっているんでしたっけ?」
「次に盗みに入る店の下見だろ?」

 

ジェイドは盛大に溜息をつき、額を押さえた。
盗賊団マルクトの頭であるピオニーには、ジェイドはいつも悩まされていた。
今日だってピオニーが盗みに行くなどと宣言したから、その盗むための店を下見にきたというのに。

 

「いっそ王室に忍び込むってのはどうだ?」
「やめてくださいよ、何か問題があったら面倒くさいことになるじゃないですか。」
「盗みはいいのか。」
「捕まらなければいいんです。」

 

ピオニーが笑いながらジェイドの肩を叩き、眼に入った宝石を見る為にその横を追い越して行った。
宝石の国として名高いキムラスカらしく、見事な宝石を売る店がそこかしこに並んでいる。
ジェイドも時々立ち止まり、エメラルドやルビーなどの宝石を眺めていた。

 

「困ったなジェイド。」
「何がですか?」
「この国の商人は、皆誠実すぎて盗みようが無い。」

 

肩をすくめたピオニーを見て、ジェイドは感心したように眼を周りの店へと向けた。
今まで訪れた国はどれも、一つや二つはやましいことをして手に入れた商品を自慢する、腐った店があったというのに。

 

「では、どうします?盗みは諦めたほうがいいんじゃないですか?」
「そうだな……代わりに今までの金を使って宝石を買っていくか。他の国に比べて安いしな。」

 

そう言うなり、ピオニーは嬉々として市の中へと突っ込んでいった。
それを見てまた溜息をつき、後を追おうとしたジェイドの目に、一筋の赤が飛び込んだ。

フード付きのマントを被り、人の目を避ける様にこちらへ歩いてきているが、身のこなしには気品が感じられる。
マントの隙間から見える長い髪は、鮮やかな赤い色をしていた。
暫くその髪に眼を奪われていると、不意にフードが上を向き、碧の瞳がこちらを向く。

目が合った次の瞬間、ジェイドは彼を呼び止めていた。

 

「すみません」
「!」

 

振り返って逃げようとした青年の肩を掴み、できるだけ優しく声を出す。
触れた瞬間に彼の体が強張ったのを感じながらも、肩からは手を離さなかった。

 

「つい先程、初めてここへ入国したんですが、迷ってしまいまして。一番近い宿屋まで案内してくれませんか?」

 

振り向いた青年の顔は、酷く驚いたようだった。
まだ警戒している青年に向けて、ジェイドは人当たりのいい笑顔を向ける。
向けた、つもりだった。しかし、ジェイドは何時ものように笑えた自信が無い。

その笑顔は、自然と、考える前に出たものだったからだ。

 

「……この国のことは、誰かから聞いたことは無かったのか?」
「ええ、まあ。一緒に来た人は多少なりとも知っていたようでしたが、生憎はぐれてしまいまして。」

 

もちろん嘘だったが、わざとらしく溜息をつくと、青年は一瞬目を細め、少し考えた後、仕方が無いという風に表情を変化させた。

 

「一番近い宿屋だな。」
「はい。お願いします。」

 

ついてこい、と小さく呟いて、青年は背を向けて歩き出した。
その後姿を見て、ジェイドはやはり、と青年に聞こえない程度の声で呟いた。

 

(彼は、この国の王子…兄か弟か、どちらかはわかりませんが)

 

赤い髪と碧の瞳と言えば、この国の王族の特徴として知られている。
ここまで見事に、鮮やかな色をした王はいまだかつて、ジェイドの知る限りでは見たことは無い。
髪は絹のように滑らかで、瞳は宝石のように美しい。
緩やかに歩くその仕草一つ一つでさえ、心を動かされるほど。

何故こんな人がごった返すような城下町に、お供も連れずに身を隠すようにしているのか。

 

(何かあったのか……?この国に。)

 

何か問題があって逃亡するというのなら、もう一人の王子も共に連れていくのが道理だろう。
しかし、彼は今一人だ。
ジェイドは情報を引き出すために、青年に話しかけた。

 

「いやあ、それにしても助かりましたよ。他の人は呼び止めても足を止めてくれなかったので。」
「この時期は、どの店も品物を全て売ろうと躍起になるからな。他の人に眼をくれる暇もなかったんだろう。」
「なるほど、どういう時期だったんですか。ああ、私はジェイドと言います。貴方は?」

 

青年は振り返り、フードの下から困惑したような瞳を見せた。
名を答えていいものかどうか、迷っているんだろう。
少しの間の後、青年は意を決したらしく、ゆっくりと口を開いた。

 

「アッシュだ。」
「アッシュさんですね。本当にありがとうございます。」

 

何も知らないふりを装うと、アッシュは安心したように息を吐いた。
やはり、自分が王子であることを知られたくないらしい。

 

「呼び捨てでいい。そっちの方がどう見ても年上だろうが。」
「そうですか。では遠慮なく、アッシュと呼ばせていただきますね。」

 

その後あえてたわいの無い会話をして、アッシュの警戒心を解くことにつとめた。
宿屋に着く頃には、最初よりも警戒心も薄れ、ふとした時に笑みを見せるようになっていた。

 

「ああ、どうもありがとうございました。本当に助かりましたよ。」
「もう迷わないようにしろよ。」

 

くるりと背を向けて宮殿へと歩き出したアッシュを見て、何故かジェイドはその後を追いたくなった。
ざわつく胸を手で押さえ、その下にある自分の心臓の鼓動を感じる。
今までどんな宝物を眼にしても昂ぶる事の無かったこの心臓が、今初めて動き出したかのように強く脈打っている。
意志の強い碧の瞳が、どうしても頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

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少し長くなったので分けます。