明日の今頃には隣国の使者と共にこの国から出ている頃だろうと、アッシュは月の光に照らされた部屋の中でぼんやりと思った。

 

 

一夜

 

 

 

隣国へ向かう日取りが決まってからの数日は、ほぼ毎日のように宮殿を抜け出して城下町へと足を向けていた。
おそらく気付かれてはいたんだろうが、あえて好きにさせてくれたのだろうと、アッシュはわかっていた。
おかげでこの国の中で行ったことの無い場所は無いと断言できるほど、余すところ無く訪れることが出来た。

自分の国を思い返す途中で、ふと一人の男の姿を思い出す。
赤い瞳をした、どこかつかみどころの無い旅人。

 

(俺の髪とどちらが赤かったんだろうな)

 

最初に城下町に訪れた日に出くわしたジェイドという男と、何故か一日おきに出くわすようになっていた。
城から出て直ぐか、城に戻るときにいつも出会うので、正体を知られているんじゃないかとあやしんだこともあったが、そう訪ねてみるといつもずれた答えが返ってくる。
特に危険を感じることも無かったので、その答えに突っ込むことも無く過ごしていたのだが。

 

「……ジェイド」

 

名前を呼ぶと、ジェイドはいつも一瞬驚いてから柔らかく微笑む。
その時の微笑みは最初に出会った時の笑顔が胡散臭く思えるほど、自然で優しかった。
何故驚くのかと聞いてみたこともあった。

 

「貴方の発音が余りに美しいので、聞き惚れてしまいまして。」
「…………。」

 

馬鹿馬鹿しい答えにあきれ返ったことを思い出し、思わずふっと声を出した。
こっちをからかっているような返答をすることもあれば、先程思い出したような優しい笑顔を見せる。
出会ってから数日しか経っていないのに、アッシュはジェイドを思う時間が日ごとに増えていた。
今ではもう、ふとした拍子にジェイドのことを思い出す程になっている。

それほど自分の中を占める割合が大きくなっていたことに、アッシュは少しだけ驚いていた。

 

「アッシュ!起きてるか?」

 

突然ドアを強く叩く音が聞こえ、慌てるルークの声が聞こえた。
何事かと体を起こし、念のためにベッドに立てかけていた愛用の剣を手に取った。

 

「何の騒ぎだ、ルーク。」
「あのな、宮殿に侵入者がいるって。さっき、ガイが俺の部屋に来たんだ!」

 

ドアを開けると、切羽詰った表情のルークが立っていた。
侵入者、と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、数日前、ルークが呟いた盗賊団だった。

 

「まさか、お前の言っていた盗賊団か?」
「わからない。ガイは顔は見てないって言ったし…マルクトの奴等の情報はほとんど無いんだ。頭のことは特に。その右腕の奴は、赤い目だって噂だけど……」

 

ルークの言葉に、アッシュは目を見開いた。
赤い眼、と言われて思い浮かんだのは、先程まで思い出していたジェイドだったからだ。
まさかそんなはずはない、と強く自分に言い聞かせるものの、思えばルークに盗賊団が此処に来ている、と知らされた翌日に彼と出会っていた。

 

「とにかく、ガイは部屋から出ないようにって。」
「お前も出歩いてるだろうが。」
「俺が来なかったら、アッシュに誰が情報持ってくるんだよ。」

 

ガイが来ればいいだろう、と思ったが、おそらくガイはルークを護ることを重視しすぎてこちらまで気が回らなかったのだろう。
それか、アッシュならば盗賊団如き何でも無いと思ったのかも知れない。
いずれにしても文句を言うべきガイはこの場に居ないのだから、苛立ちを募らせるだけ無駄だとアッシュは思った。

ルークが離れて行く足音を聞きながら、アッシュは扉に背中を預けて座り込んだ。
剣を抱いて、窓の外を見ようと顔を上げる。

その瞬間、アッシュは赤い瞳と目が合った。

 

「-------ッ…!?」
「こんばんは。夜に会うのは初めてですね。」

 

直ぐに立ち上がり、いつでも剣を抜ける体勢を取る。
くすっと笑う声が聞こえて、アッシュは眉間に皺を寄せた。
心臓は早鐘を打っている。

まさか、本当に予感が当たってしまうなんて

 

「ジェイド……お前が盗賊団の一味だったとはな。」

 

そういいながら、剣の柄を掴む。
しかし、アッシュは抜かずにその体制のままジェイドを睨みつけていた。
頭の片隅では、抜くべきだと警報を鳴らしている。
分かっていて、アッシュはそれを無視してただジェイドを見ていた。

 

「隠していたつもりはありませんよ。」
「俺が王族だということも、最初から知っていたんだな」
「ええ。紅い髪と碧の瞳は王族だけのものだと聞いていましたから。」

 

いつも、街中で出会うときと変わらない仕草でジェイドは眼鏡を押し上げる。
アッシュは裏切られた、と思った。

きっと自分に近づいてきたのは、王族の宝について何か聞きだそうとしたに違いない。

そう、最初から、ジェイドの目的は宝だったのだと。

 

「近づく相手を間違えたな。ルークならわからないが、俺はそう簡単に人を信用することはしない。」
「……何か勘違いしているようですね。私は宝石や金なんかには興味ありませんよ。勿論、綺麗だとは思いますが。」

 

ジェイドは数歩、アッシュの方へと歩み寄った。

それに警戒して身を屈め、剣を引き抜きやすい体勢を取るが、それでもまだ抜くことはしなかった。

 

「なら、何の為に此処に来た。」

「貴方を攫いに来ました。」

 

アッシュは目を見開いた。
何を言っているのかを理解するのに少しの時間を要し、そして理解した瞬間、アッシュは剣の柄から手を離した。

 

いつの間にか目前まで近づいていたジェイドの手が、するりとアッシュの首の後ろに回りこむ。

それに身体を強張らせると、ジェイドの手は滑らかな動きでアッシュの髪に触れる。

一房紅い髪を指に絡ませて、ジェイドはその髪にキスをした

 

「私は貴方が欲しい」

 

レンズの奥から覗く紅い瞳が、アッシュの目を鋭く射抜く。
キスをされた瞬間ですらどくりと心臓が跳ね上がったというのに、その眼を見ているだけでアッシュの身体は金縛りにあったかのように動かなくなった。
目の前に居る男は盗賊だと、自分に言い聞かせても動かない。

それどころか、このまま攫われてしまいたいと、心のどこかで思っていて

 

「貴方を初めて見た時、私は目を奪われました。この美しい髪と、その瞳に。」

 

指に髪を絡めたまま、ジェイドの手がするりとアッシュの頬をなでた。
思わず眼を閉じると、ジェイドのふっと笑った声が聞こえてきた。

 

「そして何度か会って話しているうちに、貴方のことが忘れられなくなりました」
「……だから、攫うと?」
「最初は会えるだけでもいいと思っていたんですけどね。……貴方が隣国に行ってしまうと聞かされるまでは。」

 

眼を開けると、今まで見たことが無いほどに真剣な顔をしているジェイドが居た。
暗い中で光る紅い瞳から眼がそらせない。
アッシュは頬に添えられたジェイドの手に、自分の手を重ねた。

 

「……一緒に来てくれますか、とは聞きません。貴方の答えはわかっていますから。」

 

だから、とジェイドは小さく呟いて、素早くアッシュの腰を引き寄せる。
バランスを崩し、前のめりになったアッシュの手を引きながら、ジェイドは軽々とアッシュの身体を持ち上げた。

 

「盗賊団が強引に貴方を連れ去った。それで面倒な事は起きないでしょう。」
「何……ッ、下ろせ!」
「お断りします。最悪でも私たちが指名手配されるだけですよ。まあ、いまさらそんなものされたところで、活動に支障はありませんが。」

 

その実態がほとんどつかめていない盗賊団を指名手配したところで、今までと特に変わる事は無いだろう、とジェイドは言う。

 

「それとも、私と来ることが嫌だと言うのなら諦めますが。」
「ッ………。」

 

手足をばたつかせ、抵抗していたが、アッシュはその言葉に動揺し言葉を詰まらせた。
ジェイドの顔はアッシュの方を向いていて、赤い瞳が捕らえている。
またどきっと、アッシュの心臓が小さく跳ねた。

目と目が合うだけで、こうも簡単にアッシュの意思は乱されてしまう。

それは、アッシュの気持ちがジェイドに向いていることを意味していた。

生まれて始めて、アッシュは自分の意思が道に背いて動き出したことに気付く。

隣国との関係を悪化させるわけにはいかない。

国のことを考えて動かなくてはならないのだと、わかっていた。

 

それでも、このまま連れ去られてしまいたいと思っている自分が居る。

 

(くそ……ッ……!)

 

苦しい--------

 

 

「……そんな顔をしないでくださいよ。」
「何…?」

 

ジェイドが僅かに眉根を寄せた。
自分が一体どんな表情をしているのかわからないアッシュは、動揺して鼓動が高鳴る。

 

「このまま連れ去ってしまいたくなる。」
「何を馬鹿な事言ってやがる!今、テメェは俺を攫いに来たんだろうが!」
「そうですが、貴方が嫌だと言うなら諦めるといったでしょう。その覚悟も根こそぎ奪う気ですか、と言っているんです。」

 

どうしようもない、とアッシュは思った。

きっとどんな言葉で拒絶しようとしても、思っていることが顔に出てしまっているに違いない。

何を言っても、本気で抵抗することは出来ないし、最期にはきっと攫われてしまうのだ。

 

そしてそうなることを、どこかで強く望んでいる、と。

 

アッシュは俯き、ジェイドの服を強く掴んだ。

 

 

 

 

+

 

 

 

「ったく…ジェイドはまだか?」

 

盗賊団の頭、ピオニーは、宮殿の一室に仲間と身を隠していた。
宝物庫の辺りで一度見張りに自分達を発見させ、そこから正反対の部屋へと逃げ込み、ジェイドの帰りを待って脱出する。
それが今回の作戦であり、ジェイドが提案したものだった。

 

「それにしても、まさかあいつがものを欲しがるとはな。」

 

ピオニーはジェイドと長い付き合いになるが、今まで一度もジェイドが盗みを提案したことはなかった。
どんなに綺麗な宝石を見ても、特に顔色を変えることも無く、冷めた目でそれを一瞥する。
そんなジェイドしか見たことが無かったというのに、と、ピオニーは親友の変化を嬉しく想い、そっと口の端を吊り上げた。

その時、コン、と一度だけ扉をノックする音が聞こえ、ピオニーは身を強張らせる。
部下に静かにするように指示を出し、息を潜めた。

 

「ピオニー。私ですよ。」

 

そう言って、ジェイドが扉を開けて顔を出した。
それに緊張を解いて、ピオニーが大きく溜息をつく。

 

「随分予定より遅れたんじゃないか?」
「ええ、少し説得するのに時間がかかりまして。」

 

ジェイドは微笑み、肩に担いでいた青年をゆっくりと下ろした。
紅い髪がさらりとジェイドの肩を撫でて滑り落ち、床に足をつけた青年に従ってはらりと揺れた。
その立ち姿には何処か気品が漂っていて、ピオニーは直ぐにその人物がジェイドの言っていた、王子であるとわかった。

振り向いてピオニーを見据えたその瞳は、強い意志を秘めてピオニーの目を射抜いた。

 

「…なるほど。ジェイドが惚れるわけだ。」
「なっ!?」

 

アッシュは突然顔を紅くしてうろたえ、ジェイドを仰ぎ見てふるふると震えた。
ジェイドは酷く残念そうな顔をしてピオニーを見ている。

 

「なんだ、言わずにつれてきたのか?」
「いえ……伝わっていると思ったんですが、どうやら思い違いだったようです。」
「それらしいことは一言も言わなかっただろうが!」
「そうですね、後ほど飽きるほど言って差し上げますよ。今は先を急ぎましょう。」

 

ジェイドはまたアッシュをひょいっと担ぎ上げ、ピオニーに合図した。

 

「オイ、ジェイドテメェ、何を……」
「行くぞ野郎共!着いてこい!」

 

ピオニーはにやりと笑い、思い切り扉を開け放った。
バン!と大きな音が廊下に響き渡ると同時に、一気に盗賊団が走り出す。

 

「こんなに騒いだら見つかるだろうが!」
「見つけてもらうんですよ。貴方は盗賊団に、”無理やり”攫われたんです。部屋で争った様子も無く貴方が消えれば、貴方があやしまれるでしょう。」

 

アッシュを抱えたままで戦闘を駆け抜けるジェイドは一息でアッシュに返事をした。
ジェイドがアッシュが居なくなった後のことも考えていることを知り、こんな状況なのにアッシュの心臓はまた大きく高鳴った。
ぎゅっとジェイドの肩を握ると、ふっと笑う声が聞こえた。

 

「この国の宝、アッシュ・フォン・ファブレは盗賊団マルクトが頂いた!なんつってな!」
「あまりふざけないでくださいよ。指名手配でもされたらどうするんですか?」
「そんときゃなるようになれだ。お前等、窓から逃げるぞ!」

 

廊下の端にあるバルコニーの窓を割り、ピオニーとジェイドは先に部下を逃がすために最後尾へと周り後ろを警戒した。
すると案の定、騒ぎを聞きつけた兵士達が廊下の向こうから駆けてくる。
兵士達が駆けつけるよりも、マルクトの一味が退避するほうが早かった。
残るはピオニーとジェイドだけになり、二人も部下の後に続こうとした時、廊下の向こうから明るいオレンジに近い赤が近づいてくるのが見えた。

 

「アッシュ…!アッシュ!」

 

ピオニーが飛び降り、ジェイドもバルコニーの柵のふちに足をかける。
ルークは兵士達を追い越して、アッシュへと手を伸ばした。
その表情は今にも泣き出しそうで、まるで自分のようだとアッシュは思う。

思わず手を伸ばし、ルークの目を見た瞬間、ルークが何かに気付いたような表情をした。

 

「あ……」

 

ルークが躊躇した次の瞬間、ルークの手は空を切る。

 

アッシュは暗い夜の闇にまぎれて見えなくなった。

 

そして、盗賊を追って兵士達が居なくなった後、ルークは一人、アッシュが消えたところを見て小さく笑った。

 

 

「…またな、アッシュ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…よかったんですか?」
「何がだ」
「貴方の弟さんですよ。私は一緒に連れて行っても良かったんですよ」

 

既にアッシュの国から離れたところで、ジェイドは何気なくアッシュに尋ねた。
アッシュは振り返ることもせず、ただ前を見て歩いている。

 

「アイツはいいんだ。あそこに居場所があるからな。」
「…貴方の居場所はなかったと?」
「そうじゃない。俺が望んだ居場所があそこじゃなかっただけだ。」

 

最期に見たルークの何か納得したような表情を思い返し、アッシュは目を細めた。

 

「…アイツは、俺が自分の意思で連れ去られたことに気付いただろうな。だから、最期に手を止めた。」
「流石兄弟、といったところでしょうか?」
「元々、盗賊に俺が連れ去られたほうがいいと提案したのはアイツだ。文句は言わないだろうよ。」

 

まさかその時は、本当に連れ去られることになるとは思わなかったけれど、とアッシュは付け足して口を閉じた。
アッシュがちらりと視線をやると、ジェイドはにっこりと笑ってその手を取る。

 

「そういえば、約束していましたね。」
「約束?」
「飽きるほど言って差し上げると言ったでしょう?」

 

一瞬何のことかとアッシュは眉根を寄せたが、宮殿を出る前に言われた事を思い出し、見る間に顔を紅く染める。

そして「ふざけるな、やめろ!」と騒ぐアッシュの言葉を聞きながら、ジェイドは嬉しそうに囁いた。

 

 

 

 

それから数年後、水の溢れる土地に一つの大きな国が出来た。

その国は最も豊かな国として名を広めることになる。

その頃、王位を継いだルークはその国と友好条約を結び、二国はさらなる発展を深めた。

水の溢れる国-----マルクトには、大胆不敵な王と、才能のある腹心の宰相が居たという。

 

そしてその宰相の傍らには、いつも美しい真紅の髪を持った翡翠の瞳の騎士があった と

 

 

 

 

 

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なーななさんのリクエスト、千夜一夜物語風の世界観で、盗賊団マルクトのNo.2ジェイドがアッシュを略奪愛する話 でした!
長くなってしまってすみません(汗)
千夜一夜物語風、ということで色々検索かけてみたりしたんですが、あまり話しに関係してこなかったような気も…いや、想像すれば大丈夫だと信じてまs(殴

リクエスト、どうもありがとうございました!