「はい、マスター。あーんしてください」
「……………。」
「………すみません、調子に乗りました。」

 

 

ウイルス

 

 

お粥を口元へ運ぼうとしたら、マスターにものすごく冷たい目で見られてしまった。
ちょっとした冗談のつもりだったんだけど、通じなかったらしい。

 

「馬鹿みたいなことしてんなよ」
「……すみません。」

 

マスターにお粥を渡して、少しうなだれる。
あわよくばこのまま食べてくれるかもしれない、とちょっとだけ思ってしまった自分が恥ずかしい。

マスターが僕の事を考えていてくれたということが嬉しかったとはいえ、調子に乗りすぎた。

 

「美味いな……。」
「ありがとうございます。」

 

決して食欲があるとはいえないマスターが、パクパクとお粥を口に運んでいるのを見てほっと胸を撫で下ろす。
倒れてから数日が経ったが、それでもまだ体調は完全に良くなったわけではない。
微熱が続くマスターがどうか一日でも早く良くなってほしい。

 

「マスター」
「ん?」
「頭をなでてもいいですか。」

 

マスターが食事をやめた。
少し気まずい沈黙が降りた後、マスターの視線が僕へ向く。
なんで、と言いたげなその視線を受けて、答えを口にした。

 

「何となくです。」
「………わけわかんねぇ。」
「マスターの事が好きだと思ったら、なんとなく触りたいと思いました。」

 

丁度水を飲もうとしたマスターがむせた。
慌てて背中をさすり、水を零さないようにマスターからコップを受け取ると、マスターは恨みがましい視線を向けてくる。
呼吸が苦しいせいか、少し涙目で頬が赤い。
…それとも、羞恥心からきているものなのだろうか。
後者だとすれば、とても嬉しいけれど。

 

「もう、触ってんだろ」
「背中じゃなくて頭をなでたいです、マスター……もしくは抱きしめたいです。」

 

マスターの頬がもっと赤くなった。
どうやら羞恥心から来たものだったらしい、嬉しい。
口の端が引きつって、微妙な笑顔になりながらマスターは僕を睨みつける。
涙目では全くと言っていいほど効果がないのだけれど、マスターは気付いているのだろうか。

 

「あのな、お前……なんで、そんな」
「好きだからです。好きなら抱きしめたり、キスしたり、それ以上だってしていいんじゃないんですか?」
「両想いを前提にしてんだろそれはッ!つーかそれ以上って、おま……どこで仕入れたそんな情報!?」
「マスターのパソコンに保存されている小説からです、マスター。」

 

情報源を告げるとマスターは頭を抱えてうなだれた。
見てはいけないファイルだったのだろうか。
でもパスワードも何もついていなかったし、と思っていると、マスターが顔を今までで一番真っ赤にしながら、震えた唇を必死に動かした。

 

「よ、んだのか……あれ……」
「はい。マスターのご友人が著者なんですよね」
「最悪だッ……!!」

 

メールを保存した文章だったらしいあの小説は、最後にあとがきと称してマスター宛に言葉が綴られていた。
僕が知らないうちに女性とメールアドレスを交換していたことに嫉妬心を芽生えさせたが、その文章にはマスターへの恋愛感情が見られなかったので許すことにしている。
ただ、その小説の主人公がマスターにとてもよく似ていたことと、あとがきにマスターの願望を文字にした、と書いてあったことが気になっている。

つまり、その小説が恋愛小説である以上、マスターには誰か好きな人が居るということ。

だからこそ、今回あんなに追い詰められるほどに夢中になって作っていたプログラムの依頼主に殺意が芽生えるほど嫉妬心が煽られてしまったのだが。

 

「マスター、僕、信じてます。」
「何が……?」
「……あの小説がマスターの願望ではなく、あの女性の願望であるということを、信じてます。」

 

そうでなければ、マスターには想い人がいることになる。
それは僕にとってマスターの隣に居るという権利を脅かされるという恐怖であり、マスターを奪われるかもしれないと見たことも無い想い人に怒りを募らせることになる。
人の感情論で言えば、…この思いが、マスターに伝わることは無いということになる。

もしも僕の危惧していることの全てが現実となった時、おそらく僕は壊れるだろう。

立った今保てている理性がなくなって、きっとマスターをこの手にかけることになる。
全てを僕のものに、僕だけのマスターにするために。

 

「………そんなことは、したくないですから」
「何がそんなことなのか俺には全然わかんねぇ……」

 

僕の心が読めるわけではないマスターは、眉根を寄せて当然の事を呟いた。
顔はまだ赤いままで、とてもかわいい。

 

「つか、小説読んだから、両想い前提の……なんつーの……いちゃつき?がしたいって思ったんじゃねぇの?」
「……?どういうことですか?」
「いや……だから……相手役がお前ってことには気付いてたんだろ?」

 

マスターの言葉は予想外で、思わず驚いて言葉を失ってしまう。
今の言葉の意味は、つまりマスターは僕に対して恋愛感情を抱いているということなのだろうか。
事実上の告白ともとれるその言葉に、僕は何を言えばいいのか、今湧き上がっているこの感情がなんなのか理解できずに固まってしまう。

 

「……………え?」
「……お前って、たまにすげぇ人間らしい反応返すよな。」

 

嬉しい、と思っているが、驚愕も入り混じって、口の端が引きつるような笑顔になってしまっている。
直接的な言葉が聞きたくてマスターを見ると、マスターは目を逸らしたまま、小さく口にした。

 

「お前独占欲強いから、お前が俺の事好きだってのは嫌なほど分かるし……その、誰だって、そこまで好かれたら嫌な気はしないだろ……うわっ」

 

衝動に任せてマスターに抱きつくと、マスターはよろけたものの、僕の頭をなでてくれた。
優しいマスター。かわいい。

 

「マスター、僕、嬉しいです。いっそ死んでもいいと思えるほど嬉しいです。」
「大げさな奴だな」
「でもその時はマスターを一人にするのが嫌なので、マスターも一緒に死んでくださいね。」
「人巻き添えにするぐらいなら死ぬんじゃねぇ馬鹿が」

 

ヤンデレが、と呟かれたが、ヤンデレが何なのか分からない僕は返答のしようがなく、ただマスターを抱きしめていただけだった。
暖かくて、柔らかくて、いいにおいのするマスター。
そのマスターが、大好きなマスターが、僕のことを好きだと言ってくれている。

 

(……ああ、これで)

 

僕はマスターを死ぬまで、いやマスターが死んでも僕が壊れてしまうまでずっと独り占めにすることができる。
それはなんて幸せなことなんだろう!

 

 

(この腕の中の温もりが冷たくなるその瞬間、マスターが最期に見るものは僕であり最後に思うことも僕のことであるように、マスターの最期は僕がもたらすことにしよう、と、密かに誓った)

 

 

 

 

 

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甘いだけ……になるはずが、何故か最期にヤンデレ全開(?)になりました…。
紀月さん、リクエストどうもありがとうございました!
とりあえずこのリクエストを頂いて一番最初に思い浮かんだ、
「はい、マスター。あーんしてください」
が出来たので個人的には満足です。…駄目ですか。すみません。