倒れたマスターを抱き起こす。

カタカタと小刻みに震えるその身体はとても熱く、マスターの意識は無いようだった。

 

 

 

ウイルス

 

 

マスターをベッドまで運ぶ。
だからあれほど、休んでほしいと言ったのに。
こんなになってもマスターは仕事をやめなかった。
何かのプログラムらしいということは分かったが、それ以上は僕にはわからなかった。
いったいこのプログラムが誰の依頼で作られているのかも分からない。

こんな状態でもプログラムを優先していたことに、僕は少なからず冷たい怒りを覚えている。

 

「カイト……?」
「マスター。」

 

ベッドへ移そうとした時、腕の中でマスターがゆっくりと目を開けた。
けれど身体は僕に預けたままで、頭を支える力も無いのか首はうなだれたままだった。
眉根を寄せ、額に汗をかいたその姿はどう見ても大丈夫には思えない。
少しだけマスターの身体を抱きしめてから、ゆっくりとベッドへとマスターを移す。

 

「………なんで、俺、寝かせられてんの?」
「倒れたからです、マスター。」

 

簡潔に告げて、マスターにシーツをかける。
ふう、と熱っぽい息を吐いたマスターの顔色はほんのりと紅い。
一瞬の欲情を飲み下し、マスターの額に手を滑らせる。
じんわりと伝わる体温は熱く、僕の手ぐらいでは冷やせない。

 

「プログラム……は」
「完成していたので、保存しておきました。」

 

リムーバブルディスクを服のポケットから取り出し、マスターに見えるようにベッドの横に置く。
それを見て、マスターは安心したように息を吐いた。
暗い感情が湧き上がるが、それを抑えるように胸に手を当てる。
今はそれよりも、マスターの体調の方が大事だ。

 

「ん……ありがとな、カイト」

 

…どうにも、僕は単純な思考回路をしているようだ。
マスター言われた、このたった一言で倖せになれるのだから。

 

「マスター……」
「……何、泣きそうな顔してんだよ」

 

ふわりと笑ったマスターの顔は、それでも少し辛そうだった。
泣きそうな顔、ということは、僕は今とても悲しいと思っているらしい。

目の前でマスターが倒れた瞬間、何かが凍った。

このまま、もしもマスターが目を覚まさなかったら?

思考だけ先走って止まらない。マスターと一緒にいたいのに。

 

「置いていかれると、思いました。」
「……風邪ぐらいで死ぬかよ」

 

ぽん、とマスターの熱い手が僕の頭の上に置かれる。
その手の温もりに集中したくて目を閉じると、ぎこちなくマスターが頭をなでてくれた。
心地よい感覚に、不意に幸せだと強く思う。

 

「熱が完全に引くまでは、無理はしないでくださいね」
「仕事終わったし、当分何もしねーよ」
「食べ物はおかゆでいいですか?」
「ん。頼む。」

 

名残惜しくマスターの手を取って、ベッドに添える。
立ち上がって、冷えピタとおかゆを持ってこようとキッチンへ足を向けた。
これが人の作った物語なら、服の裾を引く手があったりするんだろうけれど。

 

「カイト」

 

呼び止められて、びくっと身体を大げさに震わせてしまった。
振り向くと、マスターが僕を見ていた。

 

「ごめんな」

 

申し訳なさそうに笑うマスターを見て、僕はどうしたらいいのかわからなくなった。
何故謝られるのかわからない。
どうしてそんな顔をするのかわからない。
僕が見たいのは、聞きたいのは、そんな顔じゃないそんな言葉じゃない。
マスターの隣へ歩き出す。
そして、戸惑った顔をするマスターの頬に手を添えた。

 

(……このまま、首に手をやったら、マスターは)

 

いったいどんな顔をするだろう。
この細い首を少し絞めただけで、人は命を絶ってしまう。
そんなことがしたいわけじゃない。
ただ、マスターに僕の事を想ってほしいだけ。
そして、笑ってほしいだけなのに。

 

(あの顔が、僕を思ってでた表情なら、僕は)

 

マスターを悲しませているのかもしれない。
僕の存在が、マスターを苦しめているのかもしれない。
だからマスターは僕の事を考えたくないのかもしれない。
けれど、僕はマスターの傍で、マスターの事を考えていたい。
どうしようもなく我がままだから、僕はマスターに嫌われたのかもしれない。

 

思考だけが先走り、本来の目的を見失う。

きっとマスターはそんなことが言いたくて謝ったわけじゃないとわかっているのに。

熱い頬。

戸惑って揺れるその瞳

全部僕だけのものになってほしいという、僕の勝手な欲望が思考の間に滑り込む。

僕は今、何をすべきなんだろう。

マスター、どうか、僕が僕を見失う前に、答えを

 

「……ホントはさ、どっか出かけたかったんだよ」
「え?」
「この仕事を早く終らせたら、長期休暇貰うことになってた。」

 

マスターの乾いた唇が痛々しく思える。
震える声で、マスターはそれでも僕に向かって言葉を紡いだ。

 

「ずっと、構ってやれてなかったから」
「……僕、ですか?」
「うん。だから、一緒にどっか行こうって思ってたんだけど」

 

それで無理して風邪引いてりゃ意味ないよな、と、マスターは苦笑した。

 

「喜ばすどころか、心配までかけちまったし……ごめんな、カイト」

 

困ったように笑うマスターを、見開いた目でゆっくりと見る。
ああ、どうしよう、この気持ちは

 

(好き、です)

 

やっぱり、僕は貴方の事が好きで好きでしょうがないんだ。
あのプログラムに嫉妬してしまうほどみっともないけれどそれでも僕は、貴方の事が好きでしょうがなくて。

構ってくれなくて、勝手に思考を暴走させて、それでも僕は貴方の一言で世界を変える

 

「……ゆっくり、寝ててください。マスター。」
「ん……わかった。」

 

素直に目を閉じて、ゆっくりと呼吸をするマスターを見る。
きっと今の僕は、泣きそうな顔になっているだろう。

だってこんなにも幸せでしょうがないんだ

 

 

 

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後編がいちゃつくだけになりそうな予感。