それは僕が、生まれて初めて好意を得た瞬間だった
君といる日々
彼は、十年前は僕の膝よりも低いほど小さな子供だった。
その頃から大きな明るい碧の瞳をしていた。
その瞳が直ぐに涙で潤み、次の瞬間には綱吉の名前を呼んで逃げるように駆けて行くのを何度見たことだろうか。
その頃の僕は、ただ騒がしい子供が居るだけだという認識しか持っていなかった。
いや、鈍い子供だとも思っていた。
校内から追い出すために声を掛けた僕を遊び相手だと認識した彼は、追いかけっこなどと言って校内を走り回り始めた。
勿論追いかける気など無く、彼が居なくなった廊下には用が無かったので応接室へと戻った僕を、彼は追いかけてきた。
「遊ぶ気は無いよ。さっさと帰ってくれるかな。」
「えー、あーそーぼーおーよー」
唇を尖らせてバタバタと走り回る彼を見て、僕が感じるのは苛立ちだけだった。
少し痛い目にでもあわせれば、泣いて逃げるだろうと思った僕は愛用の武器を手にして彼に向き直る。
怯えた彼を見て、僕は眼を細めた。
「今なら、見逃してあげる。」
「うえっ………」
眼に涙を溜めた、いつもの泣き出す寸前の表情だ。
しかし予想に反して彼は泣き出すことは無く、その一歩手前で堪えている。
小さく「が、ま、ん」と呟く声が聞こえたが、その声すらも震えているというのに。
「泣くなら外で泣いてくれるかな。子供の泣き声は嫌いなんだ」
「な、泣かないもんね!ランボさん、泣かないっ!」
自分を奮い立たせるように、自分で名前を呼ぶ。
その様子すら、見ていて苛立ちが募るばかりだ。
そもそも群れるのが嫌いだというのに、何故僕はこんな子供に懐かれてしまっているのだろうか、と思った事を覚えている。
しかしそれも、次の瞬間に聞こえた言葉に全てかき消されてしまった。
「だから、泣かないから、ここにいる!」
頬をリンゴのように真っ赤にして、眼には涙をぎりぎりまで溜めて、それでも僕を見る子供の目は、僕に縋るように光っていた。
ここまでして僕と一緒にいたいなどと言う人間は居なかった。
もちろん、僕とほぼ同じ年でこの子供と同じことを言う奴が居たら気持ちが悪くてしょうがないが。
だからこそ、この言葉は僕にとって初めて聞いた言葉であり、初めて向けられた「好意」だった。
それにほだされたのか、自分でもわからないが彼はそれから良く応接室に遊びに来るようになった。
それなりに考えているのか偶然なのか、草壁が居る時は来ることは無かったのは助かった。
この子供はどうして出入りを許されているのか、と聞かれても上手く答えられる自信は無い。
それから暫くして、得たいの知れない指輪と、それについて話があるというイタリア人の男がやってきた。
強い相手と戦えるならばそれでいい、と承諾した数日後、あの子供が入院したという話を聞いた。
その時感じたものは怒りだったか悲しみだったか、よく覚えていない。
ただ、「だから彼は応接室へ来なくなったのか」と妙に納得したことだけは覚えている。
並盛を乱したわけの分からない集団と遣り合って、個人的には納得のいかない戦いだったが、綱吉が勝利した。
結局よくわからなかったが、その数日後、また彼が遊びに来るようになった。
その後もよくわからない現象を何度か体験したが、卒業を控える頃に綱吉から話があると呼び出された。
「雲雀さん、あの……ボンゴレに、入ってくれませんか?」
あのイタリア人からも何度か聞いた言葉だったので、少しばかり興味が沸いた。
その時初めてボンゴレについて、守護者についての説明をまともに聞き、とてつもない興味をそそられた。
「僕は群れる気はないよ」
「で…ですよね……。」
「……そのボンゴレって、他に誰が居るの」
「え?えーっと……山本と、獄寺くんと…骸と、了平さんと、あと、ランボです。」
「………そう。……そうだね、手を組む形でなら、君と協力してもいいよ。」
「!ほ、ホントですか!」
より強い人と戦える機会を与えてくれるなら、という僕の理由に、綱吉は納得したようだった。
もちろんそれも理由の一つではあったが、本当の一番の理由は別にあった。
この時、僕はランボに少なくとも好意以上の執着を持っていたことに気がついた。
それから十年間、僕はランボを怯えさせては怖がらせてばかりだった。
優しくしようと思っているが、どうにも上手くいかない。
彼をごろつきから助けた時も、僕は彼を怯えさせてしまった。
口からついて出る皮肉で泣かせてしまったこともあった。
要は、僕には優しくするという器用さが無く、また心もそんなに広くないようだ。
彼が他の誰かと楽しげに話しこんでいるのを見て、腹が立って邪魔をしたこともある。
彼が僕を見て泣きそうになるのを見て腹が立ち、いっそ泣けばいいと思って言葉をぶつけたこともあった。
それでも、どんなに頭に血が上っても、彼に傷をつけるようなことはできなかった。
愛用の武器を握っても、彼を殴る前に手がすくむ。
胸が痛むほど苦しいばかりで、この思いを上手く伝えることも出来ずにただ口の中で言葉が詰まる。
彼に抱く感情のせいでこんな思いばかりするのならば、彼の傍に居ようとするんじゃなかったと後悔したこともあった。
それでも、たまの気まぐれで彼が笑うとき
それだけでいいと思えてしまう、から
「僕とランボが?」
「はい。長期任務をお願いしたいんです。ランボを一緒に連れて行ってください。」
隣のファミリーに潜入し、もしできるならばその情報を流して欲しい、と綱吉は言った。
しかし僕は顔も名前も広く知られてしまっているし、密偵のような真似が出来るわけが無い。
そもそもこういう仕事は骸の能力の方が向いているだろうと綱吉に言うと、困ったような微笑が返ってきた。
「骸には別の任務についてもらってるんですよ。正直人手が足りなくて……。」
「………重要任務につけるレベルの輩がいないということかい?」
「えっと…まあ……。あの、多少騒ぎを起こしても構いませんから、とりあえず武器倉庫の場所とボスの居る場所を調べてきてください。」
「…その程度なら、あの子供一人で十分なんじゃない?」
そういいながら、頭の中では半分期待していた。
これから潜入するファミリーは、ボスの居場所はおろかその右腕も、武器のありかも分からない徹底的な秘密主義であることが知られている。
そんなファミリーに、ランボが一人で潜入し情報を得るなんてことは出来ないだろう。
彼も守護者と言えど、どこか昔の綱吉のように抜けていて、しかも他の守護者に比べればまだまだ弱いのだ。
「リボーンが、ランボだけだと不安だって文句言うんですよ。…まあ、確かに、ランボ一人に任せるには荷が重いと思いましたし。そういうわけで、雲雀さん。お願いできますか?」
「………いいよ。そのかわり、見返りは十分にしてよね」
苦笑した綱吉に見送られて部屋を出る。
ドアを閉め、自分のアジトへと足を向けた時、通路の反対側からランボが走ってくるのが見えた。
精一杯大人っぽい格好をしている彼を見て、ふっと口の端を吊り上げる。
「やあ。」
「ど、どうも雲雀さん。今、ボンゴレからの帰りですか?」
「君はこれからみたいだね」
彼の前で歩みを止めて、硝子玉のように透き通った彼の目を見据える。
僅かに身体を硬直させたのを見て、高揚していた気分が僅かに下がった。
「楽しみにしてるよ」
「え…何がですか?」
「行けばわかるよ」
それだけ言い残して、すっとランボの横を通る。
これ以上何か会話をして、彼を怯えさせるのが嫌だった。
気がつけば笑みは既に消えていて、僕はいつから無表情だったのかと考える。
もしかしたらそのせいで怯えさせてしまったのかもしれない。
ランボの足音が聞こえないので、おそらくまだ立ち尽くしているんだろう。
背中に視線を感じながら、それを振り切るように角を曲がって自室へと急いだ