「遅いよ」
「ひっ……うわぁあああっ!!」

 

そして今日も両手は赤く染まる

 

 

 

どうぞお体に気をつけて

 

 

 

コツコツと自分の靴音が廊下に響く。
他人の血で赤く染まった指をぺろりと舐めて、鉄の味が不味くて顔をしかめた。
黒いスーツにうっすらと見える赤い染み。
ベタベタと気持ちが悪くて、さっさと着替えようと足を速めた時だった。

暗い廊下に差し込む一筋の光に目を細める。

 

(…………なんで彼が此処に)

 

ドアの隙間から差し込んだ光は自分の執務室からだった。
その部屋へ足を踏み入れてみると、自分の机に突っ伏して眠っている一人の少年。
彼を見間違うことは決して無い。

特徴的な黒いくるくるの髪に、牛柄のシャツ

 

「………ランボ」

 

ぽつりと名前を口にすると、ランボは少し身じろぎをして唸った。
しかし目を覚ますことは無く、相変わらず机に突っ伏して眠っている。
近寄ってみると、どうやら誰かへの手紙を書いていたようだった。

 

(それ以前に、どうやって此処に)

 

此処は自分専用の家であり、家の鍵を持っている人物はかなり限られるはずだ。
そうして思い当たるのは過保護な家庭教師と、自分の側近。

 

(……草壁か。)

 

家庭教師が過保護なのは愛すべき愛弟子に対してのみ。
となると、もう一人の人物しかいない。
そういえば草壁は妙にこの子供に親切にしていた気がする。
理由を問いただしても苦笑しか返ってこなかったが。

まるで、気付いていないのかといわんばかりの微笑を思い出して、苛立ちが募る。

 

(とにかく早く追い出さないと)

 

彼を起こそうと手を伸ばして、眼に入ったのは真っ赤に染まった自分の手。
既に赤黒く変色して乾いてしまっているとはいえ、この手で触れるのは躊躇われた。
手を引っ込めて、どうしたものかと思案する。

思えば、こうして他人に汚れがつくのを恐れて手を引くなんてことは普段はしない、珍しいことだ。
しかしそれに気付くには時間がかかり、少なくとも今この瞬間にその答えに至るのは難しいことだった。

 

「……ねぇ、君。起きて。」
「うぅ……ん……」

 

顔を横に向けて、眉間に皺を寄せて唸る。
表情が見れるようになったことで様子がわかりやすくなった。
とりあえず声をかけて起こすことにするけれど、一体何時までかかるやら途方にくれる。

 

(随分と、深く寝入っているようだし)

 

ここまで熟睡されると起こすのも躊躇われる。
しかしこのまま机に座った状態で寝られては、目が覚めたとき身体が辛いだろうに。

 

(………違う。何を考えているんだ僕は)

 

熟睡されると、起こしづらくて困る。
机に座ったままでいられると、自分の仕事が片付かない。
これが本当の理由だろうに、何故この子供の身を心配するようなことを考えたのか。

 

「……ねぇ。いい加減に起きてくれる。」
「うー………」

 

多少の苛立ちを込めて言葉を紡ぐと、ランボがピクリと反応した。
この調子でさっさと起こして、身体を洗って服を着替えてしまいたい。
両手が赤いまま腕を組み、ランボを見下ろして威圧をかける。

 

「起きて。」
「ん……え……あれ……おれ…」

 

のそのそと状態を起こして、翡翠のたれ目を眠そうにこする。
その様子を見ながら眉間に皺を寄せて睨みつけていると、徐々に覚醒してきたのかランボの目がゆっくりと見開かれた。

 

「此処で何してるの。」
「えっ……あ、そのっ…なんで……や、ちがくて、俺っ!」

 

どうやら寝ぼけているのか、混乱してまともに言葉を紡げていない。
小さく溜息を付くと、面白いぐらい身体をびくっと震わせた。

 

「ご、ごめんなさい、俺、手紙かいてて、それでその……」
「なんで僕の家で書く必要があるの。しかも僕の机で。」
「そ、それは……」

 

もしも今疲弊しきっていなければ、問答無用で愛用の武器の餌食にするところだ。
そう考えていると、不穏な空気を感じ取ったのか、ランボが顔を青くしてあたふたし始めた。
机に散らばっていた文房具を片付け始めるが、ふとそこでランボの頬に黒いインクが付いていることに気付く。
おそらく顔を下にして眠っていた時、乾いていないインクが付いたのだろう。

 

「頬、インク付いてる。」
「え、あ………ッ!!」

 

何気なく、ただ何となく手を伸ばしてその頬のインクを拭おうとした。
しかしランボが怯えたように息を呑んだことで、手を止める。
そういえば両手は血で染まったままだった。
すかっり失念していた自分に腹が立ち眉根を寄せ、この手では拭えないと判断して手を引っ込める。

 

「あ、お、俺……」
「いいから早くして。頬のインクは後で鏡でもなんでも見て自分で取れば良い。」
「は、はい……その…ごめんなさい…」

 

どうして謝られるのか一瞬分からなかったが、おそらく机を無断で使用したことに謝罪しているのだろうと判断する。

 

「別に。」

 

赤く染まった自分の手に目をやって、続いて彼の手に目をやった。
彼の手は白くて、けれどところどころにインクが付いている。
いったいどうやって書けばそんなに汚れるのか、自分としては謎だ。

 

「あの、ひ、雲雀さん。」

 

ランボが怯えたように自分の名前を呼んだところで、片づけが終ったことに気が付いた。
目を細めてそれを確認して、踵を返す。
すると驚いたような彼の声が背中にかかった。

 

「あ、あのっ、ど、どこに……」
「君には関係ない」

 

小さく息を呑んだ音が聞こえて、何故か胸が苦しくなった。
そのまま暗い廊下へと出て、クローゼットへと向かう。
服を出して、シャワーを浴びて、一応その後机の点検をして寝てしまおう。

今日は、疲れた。

 

 

 

+++

 

 

 

「………?何、これ。」

 

シャワーを浴びて着流しに着替えて戻ってくると、あの子の姿はどこにもなかった。
それは当たり前の事だとわかっているのに、何故か落胆している自分がいて不可解でならない。
その気持ちを引きずったまま、机の点検を始めた。
まるであの子の面影を探すかのように。

一番上の引き出しを開けたとき、そこには無かったはずの白い封筒が入っているのに気が付いた。
出して確認してみるが、やっぱり見覚えは無い。
差出人も宛名も無く、一体何なのかもわからない。

 

(………雷の封蝋…?)

 

それはボンゴレの守護者ならば、一度は見たことのあるはずの文様。
自分はコレの雲を持っているし(使ってはいないが)、綱吉からの封筒にもコレで封がしてある。
雷ということは、雷の守護者からだろう。

そこであの子を思い出して、目を細めた。

 

(忘れ物か?)

 

しかし人の机の引き出しに入れたまま忘れて帰るとは思えない。
それをあけることにして、ペーパーナイフで封筒を切った。

 

「………………。」

 

ざっと目を通していく。

読めば読むほど、驚愕する自分を抑えられない。

これは、一体

 

(………こんなの、まるで)

 

差出人は最期まで名前が無かったが、自分宛だということだけはわかった。
手紙の書き出しに自分の名前があったからだ。
どうやらこれを送った本人は、誰からなのかを隠していたかったらしい。

 

(……自分の封蝋を使ったら直ぐに分かるだろうに)

 

そうでなくとも、コレが誰からなのかを当てる自信はあった。
この会話の結びや、筆跡、そしてところどころインクのすれたあと。

おそらく彼はコレを此処に置いておいて、驚かそうとしたんだろう。

 

気が付くと、自分の口角が釣りあがっていることに気が付いた。

嬉しいのか、楽しいのか、よくわからない感情が渦巻いている。

その手紙を封筒に戻して机の引き出しに仕舞い、踵を返す。
どうせ明日は、今日始末した奴等の報告を綱吉にしに行かなくてはならない。
この手紙の返事は、その時でもいいだろう。

 

(どんな顔をするだろうね)

 

まさか手紙を書いたのが自分だと気付かれるとは思っていないだろう彼が、顔を真っ赤にして否定するだろうことを予想する。
あたふたと慌てて、どうしようと顔に露にする彼を想像して一人で笑う。

 

カチリとスイッチを動かして、部屋の電気を消した。