ふと気が付くと、自分からあの子の甘い香りがした。

葡萄にも似た、甘い柑橘の香り。

 

 

 

ふわり香る

 

 

 

「雲雀さんから、何か甘い香りしませんか?」

 

最初に気が付いたのは綱吉だった。
不思議そうな顔をして、僕に顔を近づけてくんくんと匂いを嗅いでいる。
ああ、と小さく呟いて自分の服の袖を嗅いでみると、確かに甘い香りがする。

 

「多分、ランボの匂いが移ったんだ。」
「え……ランボの…?雲雀さん、移り香とか嫌いなんじゃないんですか?」

 

綱吉は顔を怪訝そうにゆがめて僕を見る。
普段誰かと一緒にいることすら嫌う僕が、誰か特定の人物と匂いが移るまで傍にいたということが信じられないんだろう。

 

「嫌いだよ。でも移ってしまったものはしょうがない。」

 

ランボと会ったのは此処に来る少し前で、偶然だった。
草壁は日本に行ってしまって、しかたなく重要な書類を自分でボンゴレに届けにきた。
その途中でランボに出くわした。それだけ。

 

「戻ったらすぐに着替えるつもりだしね。」
「そうですか……でも、なんか可笑しいですね。」
「何が?」
「雲雀さんから甘い香りがするのって珍しいじゃないですか。」

 

くすくすと笑う綱吉を見て眉を顰める。
そんなに強く香っているわけでもないのが余計に気になるらしい。
まるで自分からつけたかのような淡い香りを僕がさせているのがそんなに可笑しいのか。

 

「珍しくもないよ。別に。」
「でも、俺が雲雀さんといるときにこんな香りがしたの初めてですよ?」

 

それはランボと会う時はいつも綱吉に会った後だからだろうが、それを口に出すつもりは無くただ眉根を寄せた。
僕の機嫌が悪くなってきていることに漸く気が付いたのか、綱吉は慌てて仕事の話題を持ち出した。

 

(……匂いか。)

 

次から気をつけないと、と頭の片隅で思う。
鼻の利く自分でもわからないのに綱吉が気付く、ということが意味するのは、自分の嗅覚が麻痺していること。
特にこの香りだけ嗅ぎ取れないのだから、自分らしくもない。

 

(この匂いが可笑しく思えないほどに、彼と一緒にいると言うことか)

 

そしてこれが意味することは、自分とランボの間の距離は確実に縮まっているということ。
最初はあの子がつけている香水の香りが甘ったるくてしょうがなくて、嫌で顔をしかめることもあったはずなのに。
今では逆に、あの子から甘い香りがしない時に顔をしかめている。
つまり、自分の中でこの香りはあの子の一部になっているのだ。

 

「以上で説明は終わりです。何か質問はありますか?」
「ないよ。」

 

綱吉の次の仕事の説明を受けて、返す。
特別僕が動かなくてはならないことは無いということだから、自分のしたいことに専念できるだろう。
久しぶりに匣の調査の方を見ることにして、書類を置いて部屋を出た。

 

「あ、雲雀さん」
「何?」
「ランボのところに行くなら、これを持ってってくれませんか?」

 

何故僕がランボのところに行くなどと思うのか理解できなくて眉根を寄せる。
しかし綱吉はそれに気付いていないようで、備え付けの冷蔵庫から葡萄ジュースの瓶を取り出した。

 

「ランボ、コレ好きなんですよ。お願いします。」
「………。」

 

無言で差し出されたそれを受け取って、足早に部屋を出た。
ランボの部屋に行くつもりは無い、と断ることもできたのに、結局受け取ってしまった自分に嫌悪の溜息を付く。

 

(…………随分と甘くなったね、僕も)

 

コレを渡して、喜ぶ彼の顔が見たい だなんて

 

自分が変わった事が果たして良いことなのか悪いことなのか測りかねる時点でもう既に変わっている。
その事に不思議と苛立ちを覚えない自分を感じながら、足取り軽く廊下を歩いた。